NECが開発するチャイルドケアロボットPaPeRo


上記リンクのサイトから、そのコンセプトは

このロボットの役割の主眼点は「チャイルドケア」、子どもの見守りです。また、子どもと遊ぶこと以外にも、物語の読み聞かせや、クイズの出題などの情操教育的な面も併せ持っています。

PaPeRoの能力は3つで、

1. 個人識別能力
10人までの顔を記憶。

2. コミュニケーション能力
音声認識能力と携帯電話との通話能力。
予めインプットした関係情報と、やり取りのデータから
「久しぶりだね」「また会ったね」などの反応を示す。
保護者が携帯から電話をかけることによって、
その子どもを捜して話しかけたり、
保護者はロボットのカメラを通じて子どもの様子を確認することができる。

(これは「音声認識能力」「携帯電話の中継能力」であり
「コミュニケーション能力」ではありません。)

3. ケア能力
身体の複数場所のセンサーを通じて触られたことを認識するほか
音楽を流して踊ったり、挨拶の仕方を教える、クイズやナゾナゾを出すなど
「ロボットと子どもが触れ合い、一緒に遊ぶことを通じて、見守りを実現」。
将来的にはインターネットでコンテンツをダウンロードできるようにして、
子どもが飽きる頃には新しいコンテンツへ移行できるように、と企画中。

(これもまた、そこらへんで売っているオモチャ程度の「能力」と同じなのに、
それが丸っこい人型ロボットに仕組まれただけで
なぜ「見守り能力」「ケア能力」に化けてしまうのか、不思議。)

ちなみに、このPaPeRo、
高齢者ケアにも導入されつつあるようです。

まあ、音楽を流して踊れて、いくつかのパターンの言葉が出せれば
「ケア能力」があることになるらしいですからね。


       ――――――――



そのパネルディスでの
NEC企業ソリューション企画本部PaPeRo事業推進Gの大中慎一氏の発言が
介護保険情報」2月号P.43にまとめられています。

その一部を以下に。

ロボットは人の言葉を認識して話をしたり、その人の代わりに何かをしてくれるが、やはり人の能力には敵わない。結局。ロボットの最大の特徴は人に劣っていることにあるのではないだろうか。子どもは最初のうちはロボットを面白がって興味を示すが、人間より劣ることに気付くと興味を失い、逆に人間について考えるようになる。そこにこそ、ロボットの存在意義があるように思う。

トランスヒューマニストらを筆頭に”科学とテクノロジー万歳”文化の人たちは
なんで物事をすべからく差し引き計算でしか捉えられないのだろう、と、いつも思う。

人間もまた能力の総和としてのみ捉える彼らの感覚で行けば、
子どもがロボットに飽きるのも人間とロボットの能力差のため
ということになるのかもしれないけど、

子どもがロボットに飽きるのは
所詮ロボットはプログラムに過ぎないからであり、

「人の能力に敵わない」からではなく、
人のように「かけがえがない」存在になれないからでしょう。

ロボットが物語を読むのは「読み上げる」のに過ぎないのであって、
物語を「読み聞かせる」ことができるのは人間だけだと私は思う。

「かけがえのない」存在だからこそ、
人にはそれぞれの「持ち味」や「芸」がある。

だ~れがロボットの落語を聞いて愉快なものか。

ロボットが弾くピアノやバイオリンに、だ~れが感動するものか。