「ゲイに養子縁組させぬAR州は子どもの利益守れぬ」NYTimes社説

Ashley事件以来、目に付くと必ず反応してしまう言葉。
「子どもの最善の利益」。

それがそのまま社説タイトルだったので
素通りできずに読んでみたところ、
標記の内容の激烈な批判だった。

The Best Interests of the Child
The NY Times, January 5, 2009


Arkansas州の病院で親から虐待を受けた女の子が福祉局に保護された。
幸い、この子の祖母に当たる人が看護師で、
喜んで引き取りたいと申し出た。

ところが、
この祖母はゲイで女性のパートナーと暮らしているものだから、
ただそれだけの理由で養子縁組がかなわない。

Arkansas州では昔から児童福祉の専門家が
子どもの里親や養親となるべき人を決定する伝統があったのだけれど、
最近になってアンチ・ゲイの活動が活発化。
2006年からゲイの人は里親になれないこととなった。
さらに去年、大統領選と同時に行われた住民投票によって、
ストレートでも結婚していないカップルまで禁止対象に加えられた。

養子縁組希望者を支援する団体は
これでは子どもたちを最善の家庭においてやることは出来ないと反対運動を展開している。

NY Times社説は
その一方で、同じ法律が
子どもの非行をそそのかすことも含め犯罪歴を持つ人や
不特定多数の相手と性交渉を持っているような独身者には
里親・養子縁組の資格が認められていることの矛盾を指摘。

こんな差別的な法律では
里親・養親に関する法律の最も重要な原則である「子どもの最善の利益」を
守ることが出来ない、と批判。

子どものニーズに最も応えられる家庭を個別に見極めるという
福祉局の仕事が、これではできまい、とも。

         ―――――――

つい最近、玉井真理子さんが某所で
障害新生児の治療停止の問題に絡んで
この病気なら助ける、この病気なら治療しない・・・・・・という具合に
病名だけで治療の停止を判断するのは思考停止だと指摘していたのが印象に残った。

そのせいかどうだか、

この場合の「ゲイは良い親にはなれない」も
“Ashley療法”の「重症児は赤ん坊と同じだから一生親に面倒見てもらうのが幸せ」も
Peter Singerの「重症知的障害者には道徳的地位はない」にしても、
ステレオタイプって結局はみんな思考停止なんだなぁ・・・・・・と。