「障害児については親に決定権を」とSinger講演(YouTube 4:34)

前に触れた、9月の認知障害カンファでのSinger講演。
YouTube のビデオはこちら

この部分の内容をざっと以下に。

親には子どもの扱いに関する発言権がある。
例えば、子どもにダウン症など手術が必要な障害があると分かった時に、
それでもその子が欲しいという人もいる。
が、その一方にダウンの子はいらないという人もいる。
親がそうい考えでそういう選択をしても構わないということは明らかである。

重い脳性まひの子どもの親から
「将来こういう障害を持つと教えてもらって
医師から、それでも保育器に入れますかと聞いてもらっていたら
 イヤだと応えていたのに」という手紙をもらったこともある。

このように障害に対する親の考え方は分かれているので、
親が決められるということが非常に大切である。

Ashleyケースについて

LA TimesがAshleyについての記事の冒頭で
「これはAshleyの尊厳の問題である。
 このケースについて検討する人なら誰でも、
少なくともこの点には同意すると思われる」
と書いていることについて、

「尊厳」というのは曖昧な概念であり、
むしろ、ここでは「Ashleyの最善の利益は何かという問題だ」というべきだろう、と。

なぜなら、我々は「最善の利益」という言葉を動物に使うのを躊躇わない。
「最善の利益」がどういう意味か誰でも分かっている。
そのくせ、non-human animals には尊厳という言葉は使わない。

(親のブログで)描かれているAshleyの姿からいえば
彼女のような発達障害のある人が尊厳のある存在だとは自分は思わない。

まず、親の決定権に関しては、

以前のエントリーで触れたWhat Sorts of Peopleの
Thinking in Action シリーズの2つめでカナダ、Aleberta大学のSobsey氏が
親の決定権を認めろという、このSinger講演について
親による殺害まで含む虐待の実例や統計を挙げて、
親の決定権の範囲には制限が必要だと説いています。

2007年論争当初の1月4日に
トランスヒューマニストのJames HughesがCNNでAshley療法を擁護した際にも
Hughesが親の決定権を尊重するべきだと述べるや
番組ホステスのNancy Graceが即座に

これだけ親による虐待が頻発している時代に、ですか?」と突っ込んでいました。

また、Sobsey氏はコメント欄での議論の中で
動物の権利、sentientの権利、人間の権利にクリアな線引きを求める姿勢を批判する中で、

認知能力があるかどうか分からないならば、あるものとの考えたい。
間違いを犯すとしたら、より危険の少ない方を選びたいから」と。

これは当ブログがAshley事件の当初から
ステレオタイプという壁」として主張し続けてきたことの1つ。

本人に危害を及ぼす可能性がある決定については、
その本人の意識状態がはっきりどちらとも証明できないなら
分かっているが表出できないだけだと見做すべきだと思う。
不当に危害を加えられる人をつくらないために。


次に知的障害者の尊厳・人権と non-human animalsの権利について

Singerの講演は、このビデオの最後の下りになると、
ほとんど動物の権利擁護の立場から
Sentientな動物に尊厳が認められていないことへの面当てで
「それなら知的障害のある人間に尊厳だって認めてやらない」と
ゴネているだけのようにも……。

つまりオランウータンやゴリラにもっと尊厳のある扱いをしろと
主張し続けているのに人間はそれを認めようともしない。
それなら人間の中でも知的レベルの低い連中にだって
尊厳など認めないのでなければ整合性が取れないだろう……ということ?

これについてはSobsey氏のエントリーのコメント欄にあれこれの議論があるのですが、
その中で同氏が、

「知的障害がある僅かばかりの人間に対等の地位を認めなかったら
それで動物の地位が向上させられるわけではない」とも。

賛成。


ちなみにSingerは動物について
何の形容詞もつかない animals と non-human animals とに分けていますが、
non-human animals とはトランスヒューマニストのHughesらの言葉にすると sentientのこととするサイトもあり、
感覚があって、喜びや苦痛を感じることができる存在。

が、人によって場面によって使われ方にはバラつきもあるようで
場合によっては大型類人猿のことを指すのかも。

Sobsey氏もコメント欄で触れていますが、
先ごろスペイン政府は一定の動物に法的権利を認めました。
私もこの時に、Singerが即座に歓迎のコメントを出したのを覚えています。


また、Ashley問題を広く考える上では非常に興味深いこととして、
以下のような運動がSeattleを本拠地として展開しています。


         ―――――――

ちなみにCNNに登場した上記Hughesはその著書“Citizen Cyborg” で
人間が超人類となりサイボーグ社会となった時の民主的な市民権のあり方として
4段階の市民権を設定していましたが、

第1段階目の「完全な市民権」に続く2番目の「障害市民権」の対象とするのは
子ども、精神障害のある大人、それから大型類人猿。

3段階目の「感覚のある財産」の対象と規定されていたのが、sentientな存在で、
ほとんどの動物、胎児、植物状態の人間。

最終段階の「権利を持たない財産」とされていたのは non-sentient(感覚を持たない存在)で、
脳死の人間、胚、植物。

詳細はサイボーグ社会の市民権のエントリーに。