「人類の健康と身体能力の改善」NBICレポート

米国商務省と国立科学財団の共催で2002年にまとめた
ナノ、バイオ、インフォ、コグノの4テクノロジー (NBIC)の統合に関するセミナーのレポート
少しずつ読んでいるところですが、

今回は、NBIC統合の主要6テーマの2番目、
「人類の健康と身体能力改善」の章のテーマ・サマリーを読んでみました。

まず最初に整理されていることとしては、
NBICの統合を通じて健康と身体能力の改善を目指すのに最も重要なのは、
やはり脳の解明であり、脳と身体の機能のつながりを理解して、
健康増進と身体能力向上につなげることだ、と。

その次に触れられていることが、ちょっと興味深くて、

「こうした技術統合によって基本的な生命体のメカニズムが解明されれば
それと同時に生命とは、身体能力とは、という定義の問題も生じてくる。
今後の10年から20年の間に人類の健康と身体能力増強のために
このテーマのパネルは具体的に6つの重要な技術を挙げたが、
それら技術を優先させて実現していく中で不可欠なのは
人間の問題に関しては技術的解決と社会的解決の間に
“健康的な”バランスを維持することである」

この最後の1文は
これまで読んだこのレポートの中で
最も知恵のある言葉だと思うのですが、
しかし、“健康的な”バランスは既に失われつつあるのではないでしょうか。

“Ashley療法”の考え方がまさにその典型で
あそこで行われた正当化の議論には社会的解決という視点がまったく存在していないし、

最近よく目に付く自殺幇助の合法化に向けた議論でも、
死の自己決定権が云々される前にきちんと緩和ケアが受けられる体制づくりができているのかどうか
という検証が必要なんじゃないかと感じてしまう。

その他、科学と技術による簡単解決に傾斜しがちな英米のニュースを読むにつけ、
もはや社会的解決なんて一顧だにしない科学とテクノの専横に向かって、
常識も知恵もなげうった社会がもんどりうって
坂道を転げ落ちていっているんじゃないかと恐ろしいし、

世の中全体が科学とテクノロジーの万能幻想に踊らされて
時間とお金と手間がかかる社会的解決を放棄していこうとしているような、

そして、そのことが、そのまま
社会的解決を必要とする問題を抱えた人を社会のお荷物と見なして
簡単に切り捨ててしまおうとする意識に繋がっているんじゃないかとも思えて。


でも、どこまで行っても人は社会的な存在として生きているのだから、
技術的解決が社会的解決の補助として機能するならともかく、
技術的解決の方が優先されたり
技術的解決だけで問題解決ができるような幻想のままに突っ走る社会では
たとえ、すぐには切り捨てられる対象にならないに人だって
心の平安や本当の幸福というものは保証されないような気がするのだけど。


原文はこちら
これまで読んだ部分については「米政府NBICレポート」の書庫に。