今日から豪・介護者週間……because I care

オーストラリアでも介護者週間Carers Weekが毎年行われており、
今年は今日からスタートして25日まで。

政府の社会福祉部局 Centerlink
介護者支援団体 Carers Australia の共催で。

Carers Week 2008のサイトはこちら

テーマがとてもいいのです。

“……because I care”


英語の中で好きな単語を挙げてみろといわれたら、
私の頭に真っ先に浮かぶのは care と share。

特に、このテーマに使われている I care. という表現の温かさが
私は好きです。

かつて、娘が入所している施設の職員研修に講師としてお招きいただいた時に、
私は “I care.” という言葉を引っ張り出して
子どもたちへの心のこもったケアをお願いしたことがあります。

中学校時代に take care of という熟語を「~の世話をする」と暗記させられるから
care とは「世話」であると考えている人が多いかもしれないけれども、
英語のcare という言葉には、ただ「世話」というよりも
もっとニュアンスの奥行きや深みがあって、

その言葉のココロというものがあるとしたら、
私は「気にかかること」だと思う。
それも、気にしようと意識して気にかけることではなく、
意識も努力もしなくても自ずと「気にかかって仕方がない」こと。

逆に I don’t care. といえば、
そこには突き放した無関心が冷たく響きます。
I don’t care. とは「自分にはどうでもいい」ということだから。

だから、”I care” や “I care about you” という言葉は
「私にとって、あなたはどうでもいい人じゃないよ」というメッセージ。

だから、そこに込められた想いは I love you.

愛するがゆえに、気にかかる。
気にかかって仕方がないから放っておけない。
気にかかって仕方がないから見えるものがある。気付くことがある。

無言のまま着替えをさせたり食事を食べさせたりすることは
「世話をする」ことかもしれないけれども、それはケアではない、と思う。
そこには I care. という心がないから。

誰かに“I care about you.” と言ってもらえる時、
その言葉を贈られた人は、ほのぼのと温かく優しいものに包まれる。
自分が「その他大勢の一人」ではなくて「大切な誰か」なのだと
その言葉に込められた心が伝えてくれるから。

だから、何年か前の重心施設の職員研修の場で
私はスタッフの方々に向かって、
子どもたちと向かい合う時、どうぞ “I care” という気持ちを持ってやってください、
ただの機械的な世話ではなく、care の心のあるケアをしてください、と
保護者としてのお願いをしました。


I care ……あなたは私にとって、どうでもいい人じゃないよ──

愛する人の介護をする家族にもいろんな思いがあります。
疲れたり追い詰められて、つい後で悔やまなければならない言葉を吐いてしまうこともある。
時には何もかも投げ出してしまいたい気持ちに駆られることもある。
だけど、結局もどってくるのは

……because I care. だって、あなたのことを放っておけないから──。


けれど家族介護者も生身の人間です。
だから、家族の介護を担う人たちが心も身体も擦り切れて、
“……because I care”というところに戻ってくることができなくなる前に、
「独りで頑張らなくてもいいんだよ」という支援の声と手を──。