やっぱり出た「Palinは障害のある息子より仕事を優先」という批判

下記9月5日付のSeattle Times の記事を書いているのは
Palin氏がアラスカ知事になる前に市長を務めたWasillaの住民で
氏と同じく福音主義のクリスチャン、またダウン症の息子があるという女性。

メディアはPalinを取り上げて大騒ぎしていて
まるで福音主義のクリスチャンがPalinのプロ・ライフとプロ・ファミリーの価値観のもとに
全員が心を1つにしているかのように言われているけれど、

クリスチャンとして我々はPalin氏の価値観を疑いもなく支持していいのか、
と疑問を投げかける趣旨。

Reflections on Palin from a Christian in Wasilla
The Seattle Times, September 5, 2008

いくつかの問題がごっちゃに論じられている部分はあるのですが、基本的には
Palinは母親でありながら家族よりも自分の仕事を優先しているから
クリスチャンの理想とする伝統的な家族のあり方とは違う、との批判。

未婚のまま妊娠している娘のことや
プロ・ライフ云々も含まれてはいますが、
最も言いたいのは、

ダウン症の子どもは健常な子の子育てよりもはるかに手がかかるものなのに
母親が家族のための時間をとりにくい激務を選ぶのはいかがなものか。

つまり
ダウン症の子どもがいながら、
母親がその子のケアを放り出して自分の野心を優先させるなんてという批判。

表面的には政治的な正しさに配慮して「両親の責任」を問う表現にはなっていますが、
意図するところが「母親」であることは
「彼女は危機に直面する娘のニーズよりも野心を選んだ母親です」とこぼれ出たホンネからも

また、17歳の娘が妊娠していようとダウン症の乳児がいようと
夫の方が副大統領候補になったのであれば出るはずのない批判であることを考えると、
母親をターゲットにした批判であることは明白でしょう。


Palin氏自身が伝統的な母親役割をウリに押し出していて、そのウリにさらに
ダウン症の息子の存在が情緒的な加点ポイントとなっていることを考えれば
こういう批判は起こってくるだろうな、という予想はありました。

副大統領に就任すれば当然のことながら伝統的な母親役割を担う時間はなくなるのだから
立候補そのものが実は自分のウリを否定するという自己撞着を
もともとMcCainとPalinペアはやっているわけで
この記事がその矛盾を突いているという意味では
そのとおりだと思うのですが、

8月29日のPeopleのインタビューでは
夫のTodd氏が仕事を無期限に休んでMr.Momになると言っているので、
この記事の「両親ともに忙しい仕事についたのでは子育てがおろそかになる」という批判は当たりません。

しかし、もちろん批判の焦点がもともと「母親のくせに」である以上
著者がこれを知っていたとしても書き方が変わっただけで批判は変わらなかったでしょう。
(People の Mr.Mom という表現そのものが子育ては母親の仕事だという前提なのと同じ)

私は、
妻が副大統領になって夫が仕事を辞めるというのは夫婦の選択することなのだから、
それはそれでいいじゃないかと思うし、

どうせならPalin氏には
「障害児の親になる前から私は知事でした」
「障害のある子どもの母親が働いて何が悪い?」と開き直って欲しい。

むしろ
「私が副大統領としてふさわしいのであれば、その私を夫が支えて家事育児を担います」
「障害のある子どもがいても両親ともに仕事を続けていける社会にしましょう」
「それだけの支援を社会に用意しましょう」と
堂々と問題提起をしてくれれば矛盾しないのだ、と思う。

もちろん、そんなことを言う人なら
最初から共和党のMcCainがパートナーに選んだりしないわけで、
そこのところの矛盾にこそ、人選のあざとさ、セコさが見え隠れするし、

米国社会にも根強い
女性に対する母性神話とダブルスタンダード
それが障害児の母親に対しては倍加して作用するところまで照らし出されている。

今のところはプロパガンダとメディア報道の勢いで情緒的に逆作用しているけれど、
ダウン症児の母であることがPalin氏の母親イメージを増強しているのだから、
これは障害児ではより色濃くなる母性神話の裏返しに過ぎないでしょう。

       ―――――

障害があろうとなかろうと、
生後4ヶ月そこらの乳児を過酷なスケジュールと恐らくは多大な混乱の中を連れまわして、
共和党全国大会のような騒音と狂乱と汚い空気に長時間さらすことについては、
あまりに配慮が足りないんじゃないかと私は考えるのですが、

McCain-Palinの戦略からすればTrig君を外すことは論外だったのだろうし。

Trig君の不幸は母親が伝統的な母親役割を担えないことよりも、
むしろ、そうして政争の具にされてしまうことの方ではないんでしょうか。