天保山のマジックアワーに

去年2月の末、ちょうど“Ashley療法”論争もそろそろ静かになりかけた頃
大阪に野暮用があって夫婦で旅行をした。

その際、時間調整の必要があって、
海遊館近くの天保山マーケットに寄った。
「ミュウが5年前に来たところだね」
「そういえば、ここで買ったライターがお土産だった」
などと話しながら、初めて訪れるマーケットに入った。

娘の養護学校中学部の修学旅行の行き先はUSJ海遊館だった。
オフィシャルホテルを奮発したので予算が足りなくなって、夕食は天保山マーケット。
旅行前の説明会で先生方は気の毒そうな口調だったけど、

帰ってきた時、写真に写っていたのは
ジャンクフードを前に眼を輝かせる子どもたちの笑顔だった。
そしてホテルで「枕投げ」の代わりに先生の髪の毛を引っ張って遊ぶ写真は
「ウヒヒヒッ」というカメラ目線の、ウチの娘だった。

「あの子たちが食べたのはこの店かね、それともここだったかね」などと話題にしながら、
私たち夫婦はショッピングや食事で時間をつぶした。

そして夕方になって外に出たら、マーケット前の広場はちょうど、
暮れていく町に木々のライトアップが幻想的な陰影を投げかけるマジックアワーだった。

キラキラした海の底のような広場を横切り始めた時、ふいに
向こうの横断歩道を渡ってくる娘の姿が見えた。

赤い車椅子を押しているのは中学時代の担任。
娘はキャピキャピの笑顔で先生を振り仰ぎながら、
同じような車椅子の子どもたちと一群れになって渡ってくる。
オウ、オウと、はしゃいだ声まで聞こえてくるかのように
その姿は私の眼にくっきりと見えた。

あの子は、ここに来たんだ──
クラスメートや先生方と一緒に、この広場を歩いていったんだ──

そう考えると、まるで今ここで5年前の娘たちとすれ違ったかのようで、
思わず振り返って、マーケットに入っていく5年前のみんなの後姿を見送った。

お父さんもお母さんも来たことがなかった、この場所に、
そうかぁ、ミウの方が先に足跡を残してたかぁ……そっかぁ……

私にとってそれは、眼からウロコのような、ものすごく大きな発見だった。
ものすごく嬉しい発見だった。

考えてみれば、娘は小学部、中学部、高等部と3回も、親とは別の旅行を経験している。

もちろん、それを事実として知らなかったわけじゃない。
だけど、天保山のマジックアワーが見せてくれたものは、

先生や友達との旅の思い出が、こんなに重い障害のあるウチの娘にもあるということ、
それはみんな、親との旅行では決して取って代ることのできない種類の思い出なのだということのリアリティ。


急になつかしく特別な場所に思え始めた天保山マーケットの広場を歩いていきながら、
1月からずっと頭を離れないAshleyのことを、また考えた。

寝たきりのAshleyの課題である「退屈」は、
ホルモンで成長を抑制して、いつまでも家族行事に参加できれば解消する。
だって乳児並の知的レベルのAshleyに必要なのは家族という小さな世界──

違う。そうじゃない。
Ashleyに必要なのは、きっと
まず親が、我が子の持っている力を含めて、人間というものをもっと信頼すること。

親が他人を信頼して、娘をまずはちょっと託してみること。
そこからしか、子の世界も親の世界も決して広がりはしない。
子ども自身の可能性も、親の視野だって、そこからしか広がっていかないのだから。