女性の不妊手術に関する意見書(米国産婦人科学会)

米国産婦人科学会倫理委員会の「知的障害のある人を含む女性の不妊手術に関する意見書」。
2004年の第2版が2007年7月にアップデートされたもの。

Sterilization of Women, Including Those With Mental Disabilities
ACOG Committee Opinion No. 371, July 2007

当たり前のことながら成人女性の不妊手術での考え方を示したものですが
Ashley事件での医師らの正当化を念頭に読んでみると、
改めて彼らの医師としての良心を疑い、憤りを新たにしました。

Ashley事件での医師らの正当化の論理に関係する箇所のみ以下に。

The presence of a mental disability does not, in itself, justify either sterilization or its denial.

知的障害の存在は、それ自体として、不妊手術もその拒絶も正当化しない。

Sterilization is for many a social choice rather than purely a medical issue, but all patient-related activities engaged in by physicians are subject to the same ethical guideline.

不妊手術は多くの人にとって純粋に医療の問題というよりも社会的な選択であるが、患者に関する行為で医師が携わるものはすべて、同一の倫理ガイドラインに拠るものでなければならない。

「どうせAshleyの知的レベルは生後3ヶ月(時に6ヶ月)なんだから」
重症児は他の障害児・者とは話が別だというのが、
Diekema医師の正当化のほとんど唯一の根拠でした。


Hysterectomy solely for the purpose of sterilization is inappropriate. The risks and cost of the procedure are disproportionate to the benefit, given the available alternatives.

不妊のみを目的とした子宮摘出は不適切である。他の選択肢がある以上、子宮摘出のリスクとコストが利益に釣り合わない。

Disabled women with limited functional capacity may sometimes be physically unable to care for their menstral hygiene and are profoundly disturbed by their menses. On occasion, such women’s caretakers have sought hysterectomy for these indications. Hysterectomy for the purpose of cessation of normal menses may be considered only after other reasonable alternatives have been attempted.

機能障害がある女性は時に身体的に自分で生理の手当てをすることができないで激しく動揺する場合がある。これまでにも時として、そういう女性の介護に当たる人がそれを理由に子宮摘出を要望したことはあった。正常な生理を止める目的での子宮摘出は、他のリーズナブルな選択肢を試みた後にのみ検討されるものであろう。

英国のKatie Thorpeのケースや、先日のイリノイ州のK.E.Jのケースで不妊手術が却下されたのは、
これらの理由によるものでしょう。

Physicians who perform sterilization must be aware of widely differing federal, state, and local laws and regulations, which have risen in reaction to a long and unhappy history of sterilization of “unfit” individuals in the United States and elsewhere. The potential remains for serious abuses and injustices.

不妊手術を行う医師は連邦、州そして地方によって広く異なっている法律や規制について周知していなければならない。それらは合衆国やその他の国において“不適(unfit)”とされた人々に行われた不妊手術の長く不幸な歴史に対応すべく生じたものだからである。今なお深刻な虐待と不正が行われる潜在的な可能性は残っている。

The initial premise should be that non-voluntary sterilization generally is not ethically acceptable because of the violation of privacy, bodily integrity, and reproductive rights that it may represent.

本人が自発的に望んだものでない不妊手術は一般的には倫理上許容できないというのが第一の前提となるべきである。理由はプライバシー、身体の全体性、そしてそれが表している生殖権を侵すからである。

また、永続的な障害のために自己決定が難しい患者でのガイドラインの中で、
その女性の生活環境において性的虐待を受けたり妊娠する可能性がどれだけあるか
その可能性の高さを考慮するべきだとされ、その中で

Because it is uncommon for such risks to be reliably predicted, it may be preferable to recommend a reversible long-term form of contraception, such as an intrauterine device, long-term injectable progestin, or long-acting subdermal progestin implants(if available), instead of sterilization.

こうしたリスクに信頼の置ける予測ができることは稀なので、可逆的な長期の避妊を勧めることが望ましかろう。たとえば子宮摘出よりも、子宮内に入れる避妊具、長期にわたるプロジェスチン注射、(可能であれば)長期に効果のあるプロジェスチンの皮下インプラントなどを。

この点が先般のイリノイの裁判での結論でもありました。

         ―――――

これらはすべて成人女性について書かれたものであり、
Ashleyのような子どもへの不妊手術は対象になっていません。

しかし、可能な限り自己決定を尊重する努力をせよと繰り返し、
虐待の可能性への配慮を求め、より侵襲度の低い選択肢を勧めている全体の論旨からすれば、
未成年には、成人以上の慎重さが求められて然りでしょう。

また、ワシントン大学医学部のインフォームドコンセント・マニュアルの関連箇所や
米国小児科学会の不妊手術に関する見解、
先般のイリノイ州の裁判所の判断とも同じ方向性の内容であることを考えると、
知的障害者への不妊手術についての議論は不幸な歴史への反省に立って長い年月の間に積み重ねられ、
ある一定の慎重な考え方が広く関連専門職の間でノームとなっていることが感じられます。

そこからAshley事件での医師らの発言・主張はどれほどかけ離れていることか。

Ashleyの父親個人がこうした歴史的な背景にも議論の積み重ねにも無頓着で、
自分自身の“合理的な”だけの論理で“Ashley療法”のアイディアを思いつくことは
充分にあり得ることでしょう。

しかし、1人や2人の医師が個人的にそれに追随したというならともかく
シアトル子ども病院ほどの規模の、それだけの社会的な責任を負っている病院が
一応倫理委員会と名のついた会議の場で病院を挙げてそれを認め、実現に手を貸したばかりか
表ざたになるや、とほうもない詭弁を並べて世論を惑わし続けたのです。

今なおネットではAshleyに行われたことについては
「どうせ何も分からない赤ん坊並みなのだし、
介護の責任を取るのは親なのだから、やむをえないだろう」と
障害と介護負担の重さによって正当化できるとの意見は見かけられます。

Ashley事件におけるDiekema医師らの発言が結果的に
重症児の体の全体性や尊厳軽視を煽ったことは間違いありません。

それが
Diekema医師をはじめとするシアトル子ども病院の医師らの
自己保身のための詭弁が招いたものだとするならば、
その責任を彼らはいったいどう取るつもりなのか。


この意見書の最後の2行が私にはとても気にかかります。

In difficult cases, a hospital ethics committee may provide useful perspectives.

困難な症例では、病院内倫理委員会が有益な見解を提供してくれるであろう。

その倫理委員会が金と権力の前に機能と責任を放棄したのが
実はAshley事件だったのでは????

こんな事件が現に起こったというのに、
本当に病院内倫理委員会はセーフガードとして機能できるのでしょうか。

Ashley事件が問いかけている本当の疑問とは
「重症児へのこのような医療介入が倫理的に許されるか」どうかではなく
むしろ「病院内倫理委員会が本当にセーフガードとして機能できるのか」どうかなのでは?



不妊手術に関する小児科学会指針
(UWのICマニュアルからの関連箇所抜粋もこちらにあります。)