その人なりの分かり方・その人らしさの匂い

チキナさんはたぶん23歳くらいの、女性。
高校生くらいに見える。
重症重複障害があるけど自分で座ることはできる。
つかまるところがあれば膝立ちもできる。
支えてもらえば、不安定ながら、ほんのわずかなら立つこともできる。

だから
お母さんがナナクサ園に迎えに来て
「さぁ、家に帰ろうか」と
フロアに座っているチキナさんを車椅子に乗せようとする時には
とてもがんばって足を踏ん張り、お母さんに協力する。

チキナさんが家に帰っている間
お母さんは自分がどんなに疲れていても
毎晩チキナさんとおフロに入るのだという。
チキナさんがおフロが大好きだから
入れてやりたいのだという。

母と娘でお湯に浸かって
言葉を持たないチキナさんがとても満ちたりた顔でくつろいでいて
お母さんはそんなチキナさんを抱いたままいろんなことを話しかけて、
2人の間には言葉以上に豊かなものがいったりきたりするんだろうな……

……って、この部分は私の想像で、
とりたてて聞いたわけではないのですが。

私が聞いたのは、
毎晩おフロに入れるのはいいんだけれど、
チキナさんが湯船を出たがらないから困るという話。

ほら、この子って普段は
後ろから抱えたら足を踏ん張って協力してくれるじゃない?
それが、おフロから上がる時だけはダメなんだよ~。
なかなか上がる気になってくれないから
仕方なしに無理やり立たせようとするとね、
へたぁ~と足の力を抜くんだよね~。知ら~ん顔してさ。
それで、どうやって私の力で湯船から引っ張り出せるってんだよ~。

浴槽の中でワザとへたり込む裸のチキナさんを思い描くと
ズルくて、必死で、いじらしくて、それに、どこか滑稽な姿なものだから、
お母さんと一緒に大笑いしてしまう。

もちろんチキナさんのお母さんはそういう時には
裸のまま汗だくでほとほと困り果てるのだし、
もう何度も腰痛になっているし
一緒におフロに入れる限界も迫っているし
いろいろ厳しい現実はあるのだけれど、
そしてこっちだって同じ問題を抱えているから
その切実さは言われなくても分かっているのだけれど

それでもやっぱり、
チキナさんもやるもんだね、と笑ってしまう。
チキナさんのお母さんと一緒にゲラゲラ笑いながら、
あ、これ、なかなか悪くない瞬間だな……と思う。

“知って”いるから説明の必要もない、なにか複雑だけどとても豊かなもの。
それを私たち、今、笑いと一緒に共有しているよね、と。


チキナさんを初めて見る人は「どうせ何も分からない」人だと思い込むだろうし、
そういう人はチキナさんが家に帰るとおフロで実力行使の抵抗に及ぶなんて、
まして我が家だから実力行使が有効なんだというところまで読んでやっているなんて
夢にも思わないのだろうけど、

この子たちは分かっている。
その分かり方は必ずしもあなたや私と全く同じ分かり方ではないかもしれないけど、
でも、その子なりの分かり方で、ちゃんと分かっている。
そして、その子、その子の分かり方の中には
「その子がその子であって、その子以外の誰でもないということ」の匂いがぷんぷんしている。

その匂いを嗅ぎ取れる鼻さえあれば、
「その子らしさという匂い」の強烈さに時には驚かされたり感心させられたり、
そして大いに楽しみ、笑わせらてももらうんだけどなぁ……。