ワクチン博士の「自閉症の父親であるということ」

前のエントリーで紹介した自閉症関連重要事項年表は
実はこちらの長い記事のオマケとしてくっついていたものでした。

Fathering Autism
A Scientist Wrestles With the Realities of His Daughter’s Illness
The Washington Post, July 1, 2008

タイトルは「自閉症の父親であるということ
副題は「科学者、娘の病気の現実と格闘する

「ワクチンに含まれていた水銀が自閉症を引き起こしたのは事実なのに
製薬会社と癒着していたり接種率が下がると困るなどの事情で
医師も政府も隠している」といった故のない非難が世の中に隠然と尾を引いており、

自閉症児である娘のRachel(15)の存在ゆえに
米国有数のワクチン博士であるPeter Hotez氏が
そのことに対して抱く葛藤が
まず記事のテーマの1つ。

これについては、Rachelの幼少期に妻の不安に応えるために
自分で文献を詳細に調べたHotez博士は日本の水俣病の資料を発見します。
そして水俣の被害者の病態との比較から
自閉症は毒物によって引き起こされたものではなく、
神経発達全体に及ぶ遺伝的なものだと結論付けた、といいます。

しかし、この記事が訴えようとしていることはワクチンの安全性よりも
自閉症児を育てること、自閉症児と暮らすことの過酷さであり、
それが2つ目の、恐らくは1つ目よりも大きなテーマのようです。

そして、私が気になるのは、この記事にもまた、
以前紹介した「親は自閉症の隠れた犠牲者」に通じる
妙にネガティブなトーンが感じられること。

そもそも記事のタイトルが引っかかる。
自閉症という病気の父親になる人などいないのだから
自閉症の父親であること」なんてバカな話はない。
自閉症の子どもの父親であること」とするべきでしょう。
しかし、娘がそのまま自閉症という病気と同一視されているタイトルが
実に象徴的だと思える内容なのでもあり……。

「……隠れた犠牲者」では親自身に被害者意識があったかどうかは明らかでなく、
書いた記者がそうしたトーンを紛れ込ませていたという印象の記事でしたが、
こちらの記事では記者だけでなくHotez氏の言葉の端々に
娘を病気と同一視しているかのような妙に酷薄なニュアンスが浮かんでいます。

Hotez氏が娘や娘との暮らしについて語る言葉。

It is an ever-increasing snowball of horror – one disappointment after another. You recognize the gravity now as she has become a difficult and impossible teenager.
Rachelを育てるのは、恐怖の雪だるまがどんどん膨らんでいくようなものですよ。がっかりすることばかりが次々と起きて。しかも今では扱いにくくて手に負えないティーンエジャーですから、それが如何におおごとか。

Rachel was more work than all the other kids combined. ……We didn’t go out to dinner for a decade.
他の子どもたち全員の分を合わせても、まだRachelの方が手がかかりましたよ。……私たちは10年もの間、食事のための外出すらしませんでした。

We all wish things were different. We hoped there would be a day when the girl comes out of Rachel.
私たち家族みんな、我が家の状況がこうじゃなければよいのに、と思っています。かつてはRachelの中から(この難しい自閉症の)少女が出てきてくれる日が来るのでは、と夢見たこともありましたがね。

最後の発言は、もしかしたら逆に
自分たちの娘である(障害のない)少女が
自閉症でやっかいなRachelの中から逃げ出してくる、という
イメージなのかもしれませんが、いずれにせよ、
ここには、記事タイトルに見られるように
現在目の前にいる娘を受容せず、
むしろ娘が自閉症そのものであるかのように捉え忌避する感覚が
色濃く滲んでいるように感じます。

さらに私には大変気になることとして、
Hotez一家は取材に訪れた記者に対してRachel本人に会うことを
最後まで許可しないのです。

「研究者・医師としてのHotez氏は自閉症と淡々と向かい合うことが出来るけれど、
父親としてのHotez氏は客にRachelを見られることに耐えられない」のだとか。
「Rachelは最近攻撃行動が続いて3歳児相当のメンタルレベルにまで落ちてしまったから。」

Rachelは学校にも通っているし、言語能力は高いと書かれているのですが、
これではまるで一昔前に日本にもあった、
障害のある家族を恥じて座敷牢に閉じ込めたという話のようでは?

記者の手による地の文から気になる表現を以下に。

she seems more connected to the tube’s ghostly embrace than to her own father, mother, brothers and sister.
彼女は自身の父、母、兄弟と心を通わせるよりも、テレビの世界にうす気味悪いほど一心にのめりこみ、心を奪われているように見える。

Having a child like Rachel ……is debilitating, dispiriting, demoralizing.
Rachelのような子どもを持つとは、ほとほと参って元気をなくし意気を阻喪するものなのである。

the devastation autism can cause a family.
自閉症が一家に引き起こすことのある悲惨
自閉症は一家をめちゃくちゃにしてしまう)

Rachel was placing an extraordinary strain on everyone.
Rachelは家族みんなに大変なストレスを課していた。

Dealing with Rachel was like having to tread water all day: It was exhausting.
Rachelの世話をすることは一日中水車を踏むことを強いられるようなものだった。疲れ果てるのだ。

この最後の引用部分で、Hotez氏も
政府がレスパイト・サービスを拡充することと教育現場での細やかな対応の必要を訴えてはいますが、
記事全体からすれば「ほんの申し訳程度」という観をぬぐえず、

いったい、この記事は何を意図して書かれたものなのか、
Hotez氏はいったい何を言いたくてこんなところに出てきたのか……。

不思議。