30年前の誤解

もう30年近く前、
私たち夫婦が新婚当時に暮らした小さなマンションでの出来事。

夫婦で遠方の友達の結婚式に行くのに旅費を節約して車で出かけ、
夜通し高速を走って明け方の3時ごろに帰宅したことがあった。
翌朝9時ごろに玄関のブザーが鳴って、目は覚めたものの
疲れていたので聞かなかったことにして、そのまま眠ろうとすると、

廊下から、今で言う宅配業者と、
たまたま通りかかったらしい隣の奥さんの会話が聞こえてきた。
「お隣、留守ですかね」
「ああ、昨夜は明け方3時ごろに帰ってこられましたから、
まだ寝ておられるんじゃないですか」。

ウトウトしていた私たち夫婦は、きっぱり覚めた目を思わず見合わせた。
なんだか、ぞうっとした瞬間だった。

地味で静かな奥さんだと思っていたのに人間って分からないもんだよね、という驚きと共に
その後も何度か思い出して夫婦で話題にした「3時帰宅を知っていた隣人」の話──。

でも、つい最近、30年近くも経ってから、
あれは誤解だったことに気がついた。

       ――――――――

あのマンションで我々夫婦の隣に住んでいた夫婦には男の子があった。
小学校の中学年くらいの痩せた男の子には一見なにも変わったところはないのだけど、
たまにエレベーター・ホールで見かけると学校帰りなのにいつも母子が一緒だし、
その子が普通にしゃべっているのは聞いたことがなかった。
何度か、いきなり抱きつかれたこともあって、
駆け寄ってくる時の思い詰めたような様子とか抱きつく指先の容赦のなさや
お母さんが慌てて引き剥がして気の毒なくらい恐縮される口調などから、
当時の私なりに「ワケありの子なんだな」と了解していた。

でも、その頃の私には子どもの障害については知識も興味もなかったし、
隣りは近所づきあいもせずに、ひっそりと暮らしている一家だったから、
特にその人たちの存在を意識したことすらなかった。

むしろ、存在感が希薄で、それまで意識すらしていなかった隣人が
こちらの夜中の動静に詳しかったということにこそ、
20代そこそこの世間知らずだった我々夫婦は
密かに探られているような不気味さを感じたわけで。


30年前のあの奥さんは、本当は、
詮索好きだったわけでも隣人の動静にアンテナを張るタイプだったわけでもない。
あの人は発達障害のある息子が眠ってくれないものだから、
きっと自分も眠れない長い夜を耐えて過ごしていただけだったんだ──。

……と、突然、天啓のように氷解したのは、私自身が
娘が大人になってからは滅多になくなったはずの、そういう、やるせなく長い夜を
いっこうに眠らずキャピキャピはしゃぎ騒ぐ娘に付き合いながら、
ほとほとゲンナリして時計を見た、つい先日の午前3時。

気がついてみたら、ちょっとショックだった。

たまに子どもが飛び跳ねるちょっとした気配や
叫び声のようなものがふっと壁越しに微かに漏れ聞こえてくることはあっても、
それ以外には意識したこともないくらい静かな一家だったのだから
あの夫婦は、若くて世間知らずでワガママそうな隣人夫婦にどれほど気を遣い、
迷惑をかけまいと、どれほどの苦労をして暮らしていたことだろう……。

そんなこととも知らず、
エレベーター・ホールで子どもが抱きついてくるたびに、
どこか謝り慣れて、同時に謝りくたびれた感じも漂わせながら、しきりに謝るお母さんに
「あの人も大変だなぁ」と同情してあげていたつもりだった20代の私──。


知らないから分からない──。

その「分からなさ」の壁の厚さを、改めて思い知る。