「デザイナー・ベイビー作ろうよ」と倫理学者

W・Postにこのエッセイを書いたのは
Dartmouth大学の生命倫理学教授 Ronald M. Green。

Building Baby From the Genes Up
The Washington Post, April 13, 2008

「赤ちゃん製作は遺伝子から」とでも訳したいタイトルの
この文章の冒頭、Greenが引っぱってくるのは
英国のヒト受精・胚機構(HFEA)が昨年7月に
2組の夫婦に遺伝子診断による胚の選別を認めたという話。

夫婦共に乳がん患者の多い家系なので人工授精と出生前診断によって
乳がんの遺伝子を排除した胚を着床させたいと希望していた夫婦でした。

批判的な人の目には、この一件、
正当な医療としての遺伝子治療と「カンペキな赤ちゃん」欲求との一線を
HFEAがついに超えてしまったと見えたかもしれないが、
もはや、このような子作りは避けがたいし、また悪いことでもない、
みんなで遺伝子操作をやって、デザイナーベイビーを作りましょうよ
…というのがこの文章の論旨。

Greenは遺伝子操作によるデザイナー・ベイビー批判の論点を4つ挙げて
それぞれに反論しているのですが、
その、あまりのお粗末にゲンナリする。

例えば、Bill McKibbenが指摘している
「自分の能力が遺伝子選択によって与えられたものでしかなかったら
子どもは自分の能力に誇りも、努力する意味を見出せない」という点については、

タイガー・ウッズを見てみろ。タイガーが父から受け継いだ遺伝的資質を恨むか?」
 
親が押し付けがましく自分の希望通りの鋳型に子どもを嵌め込もうとすれば
タイガーが不幸になって成功しなかった可能性だってありうるが
その場合は遺伝の問題ではなく、子育てがまずかったという問題だろうと、
あっさり切って捨てているのですけど、

しかし、そう思うのであれば、
遺伝子選別で親の希望通りの子どもを作ろうと望むことそのものが
子育てのスタートの姿勢として間違っていると、
あなた自身が認めていることになるのでは?

さらに、「それでも倫理学者か」と言いたいのは、
「いくら批判しても親の愛情にはかなうまい」と、そこに親の愛情を持ち出してくる姑息さ。

それも言うに事欠いて、
「今日でさえ、
健康な子どもを望んでいたのに生まれた子どもには障害があったという親ほど
その子どもを熱烈に愛する傾向があるではないか。
そうした親の愛の激しさこそが、
遺伝子テクノロジーによって親の愛は損なわれないという最大の守りなのだ」と、

障害児をテクノロジーによって排除しようとしている張本人が
その技術の正当化に障害児への親の愛を持ち出してくるのだから
アンタ、卑劣だよ、ふざけるなよ、と言いたい。

だいたいトンデモ・ヒューマニズム系の人の論理展開というのは、
まず批判されている点を挙げては、そこに非常に極端な例をぶつけることによって
そのインパクトに乗じて反駁していく……という乱暴な手法が目立つのですが、

Greenがここでやっているのも、それと同じですね。

それにしても、
なんで、こんなのが生命倫理“学者”を張っていられるんだろう──?

       ―――――――

Greenは記事末尾の紹介によると
デザインされるベイビー:遺伝子選択の倫理学」というタイトルの本を出しているのですが、

Amazonの概要によると、その著書のメッセージはどうやら
「遺伝子操作をして、見た目のいい子どもを作ろう。それが子どもの強みになるから」
ということのようで。

黒人は子どもの肌を白っぽくしたいだろうし、
アジア人は子どもの目の色を白人のように青くしたいだろうし、
だって見た目で現実に損をするのは子どもなんだから、
それを取り除いてやるのも親の愛情だ、と。

病気遺伝子の排除よりも、見た目重視の遺伝子操作を提唱しているGreenは
それを独自にcosmetico-genomicsと称しているんだとか。
さしずめ「遺伝子エステティック」とでもいったところでしょうか? 

こういうトンデモ・ヒューマンな人って、
私には「自分の価値観の浅薄さを曝け出している、ただのバカ」としか思えないのですが……。