THニストの“A療法”批判 2

Corwinが“Ashley療法”を批判して指摘しているのは4点。

①自分で意思表示できないだけではなく、
抵抗することもできない人の身体に過激な処置が行われたこと。
特に「抵抗できない」ということが問題。

 ただ「やってしまえるから」というだけで
特定の人たちに何かがされることはないように
特段の配慮が必要である。

②親が愛情から決定したことだからといって、
 それ自体は決定の内容を正当化するものではなく、
 決定内容は精査されるべきである。

③Ashleyに行われた処置には一定の利益が確かにあると思われるが、
 同じことが障害のない人に行われた場合には非倫理的だということになる。
 それは何故なのかを考えなければならない。

 その人の状態によって結果的な処遇が同じである必要はないが、
 その判断に適用される倫理判断の基準は一定でなければならない


④生後3ヶ月相当とされる年齢比喩の危うさの指摘。

(この点はTHニストから出ていた「精神年齢」批判のエントリーで既述。)

結論部分で彼女が最も強く懸念しているのは
生命倫理 vs 障害者の権利」という対立の構図です。

Ashley事件では
対立の構図を強めていくことに熱心なTHニストが多い中、
対立の激化を懸念するTHニストもこのように存在するということが目を引きます。


倫理学倫理学を適用する対象の人々の中に障害者を含めなければならない。
そうでなければ真の倫理学ではない。

……中略……

自分で主張することも身を守ることも難しい人々が体験してきた
力のアンバランスは非常にリアルなものであり、

歩くことも話すことも自分で食事をすることもできない人たちに
Ashley療法が適用される可能性については真剣に考える必要がある。