D医師、講演に障害ある弟を担ぎ出す

1月18日のDiekema講演の際に会場内外で抗議の声を上げビラを配った
障害者団体ADAPTの地元の2つの支部から当日の活動報告が出されていました。
色んなところを経由して以下のブログに転載されています。

Michigan ADAPT’s Ashley X Action
the Roving Activist’s Blog, January 31, 2008

まだアドレナリンが駆け巡っているような「凱旋報告」といった趣の文章なので
Diekema講演で起こったこと」のエントリーで紹介した地元紙の記事などと
合わせ読んだほうがよかろうとは思いますが、
気になった点のみ以下に。

① 講演内容について

We were surprised at how technically he spoke of Ashley and how he said nothing of the social implications of these procedures.

我々が驚いたのは
Diekema医師がAshleyについてなんとテクニカルに語るのだろうという点と、
こうした処置が社会的にはどういう意味を持つかということに一切触れない点。

生命倫理カンファで
「小児科患者の利益を考えるに当たっては
 医療の範疇を超えて広範に」といった主張を行ったのは、
一体誰でしたっけ?

② 講演後の質疑でADAPTのメンバーが
「なぜ介護の手段を考え直すというオプションを選択しなかったのか」
 と質問した際に、
そういう選択肢がとられなかった理由は
単に両親が使いたくなかっただけだったと
認めざるをえなかった。」

(これは一見なんでもないように思えますが、
 よくよく考えてみると相当に重大な発言なのでは?)

③ 講演後の討議についてかなり詳しく報告されています。
まず参加者の顔ぶれが初めて具体的に出てきましたが、
これが非常に興味深いのです。

医療関係者が複数
Diekema医師の弟(外見から分かる軽い身体障害がある)
賛否両方の立場の一般市民
重症児の母親が2人

Diekema医師の弟がここで登場していることに仰天します。
弟に軽い障害(事故によるもの)があることは
去年1月にもToronto Starの電話取材の折りに語っていました。
そのときの文脈から考えると、
今後彼が弟の存在をどういう方向で利用していこうとしているのか読めるようで、
汚いなぁ……と改めて懸念されますが
それについてはまた別エントリーで書こうと思います。


ところで討議では、
ファシリテーター(小児科医)が明らかにDiekema支持だったというのも、
重症児の母親はこのファシリテーターが自分の患者の中から選んで
いわばサクラとして仕込んだあった人たちだったというのも、
地元紙の記事から私が受けた印象と同じ。

ADAPTのメンバーやその他障害者らは会場の後ろに陣取って声を上げたようです。
ファシリテーターが彼らの存在と声を凌いで討議を進めるために
“そこの後ろの人たち”と何度も声をかけたようですから。

ADAPTのこの凱旋報告では、
会場での受け入れもよくて
「良くぞ言ってくれた」という類の声もあったということなのですが、
全体には地元記事のトーンから感じた懸念が
やっぱり当たっていたんじゃないのかなぁ……という気がします。

障害者団体が来ることを想定して
周到・巧妙に作戦を立てていた
Diekeme(+Ashley父?)サイドの思惑通りに、
障害当事者らが声をあげれば上げるほど世間の偏見が増強され
Diekema(+Ashley父)に有利に作用する……
という包囲網が既に敷かれてしまったのではないか……と。

もしかしたらこの講演自体がその作戦の一貫だったのかも。
講演の直前にDiekema医師が
「障害者団体からの嫌がらせ」を仄めかしたり
「Gunther医師がどんな目に会ったかを見たら誰も後は継がない」
などと発言していたし、

これを書きながら、ふっと思い出したのですが、
直接の担当医であるGunther医師が自殺した際にも、
同医師の自殺はヒステリックに非難した障害者団体のせいだ」という声が
トランスヒューマニストのブログから即座に出ましたね。
Ashley父が自分のブログに引用したトランスヒューマニストのブログでした。