「不老革命」とLeon・Kass そして「葉っぱのフレディ」

文藝春秋2月号の対談「不老革命」で思い出したのは、
つい先日読んだ本の一節。

若さを持続させることを望む人々は、たいてい子どもに敵意を抱く。
子どもたちは後からやってきて、自分たちの場所にとってかわってしまうからだ。……

……かつて私たちの種を蒔き、道をゆずった先達たちの場所に私たちがとってかわったように、
今度は私たちの子どもたちが私たちの場所にとってかわるのだ。
そして彼らもまた、やがて次の世代の種を蒔き、道をゆずっていく。
だが、花を咲かせるためには、まず種を蒔かなくてはならない。
枯れなければ種はできないし、場所をどかなければ種を蒔くことはできない。
(P.370)

「生命操作は人を幸せにするのか ――蝕まれる人間の未来」
レオン・R・カス 堤理華訳 日本教文社 2005年

これは、簡単に言えば「葉っぱのフレディ」(レオ・バスカリア)ですね。

命は個体とともに終わるのではなくて、
世代から世代へと脈々と続く命の大きな流れの中に受け継がれていく。
個体の小さな命も、そうしてもっと大きな命の営みに繋がっている。
だから死は怖くない、
だからこそ人は死を受け入れられるのだ、と。

そういえば、
不老不死に執着するトランスヒューマニストって、
自分たちの世代だけが健康で長生きしたいみたいでもある……。

そのために使われるはずの莫大な医療資源については省みないし、
それで仕事を奪われる若い世代の迷惑もあまり考えていないようでもあり、
ある世代が不老不死になれば、
養える人口規模を維持するためには
新しく生まれる世代は歓迎されなくなるはずで、

要するに自分たち世代のことしか考えていない。
もしかしたらベビー・ブーマーの世代エゴ???


             ――――――

ちなみにレオン・カス(キャス)は
2001年にブッシュ大統領が設置した大統領生命倫理委員会の委員長。

つい先ごろ京都大学の山中教授チームがiPS万能細胞を作って倫理問題を解消するまで
ES細胞研究に政府の助成金を認めるかどうかを巡って
アメリカの世論を2分していた議論に象徴されるように、
ブッシュ政権は保守的なスタンスで
急速に発展する科学とテクノロジー
その正当化の役割を担ったリベラルな生命倫理と対立していますが、
その思想的な背景がこの大統領生命倫理委員会の報告書。

(でも、そういう表向きのポーズの影でアメリカ政府は軍や各省を通じて
着実にトランスヒューマンな技術新興を進めてもいるので、
ブッシュの保守的スタンスは支持基盤の宗教保守を念頭に置いた
選挙向けのイデオロギー・プロ・ライフに過ぎないんじゃないかと、
私は考えるのですが。)

……という大雑把な理解の元に読んだカスの本は
宗教的な道徳観念を説かれるとちょっと付いていけないところが多々あったり、
生命といっても障害を巡る問題にはほとんど興味がないなぁ、と思ったり
しかし一貫して言い続けている
「合理だけではいかんだろう」という点に共感を覚えました。

              ―――

ついでに、
あまり知られていませんが、
「葉っぱのフレディ」を書いたLeo Buscagliaは
もともとは障害者のカウンセリングの専門家。
私が持っている改訂版が1983年版なので
ICF国際生活機能分類)が出た今ではちょっと古くなった箇所もあるかもしれませんが
The Disabled and Their Familiesは今なお名著だと個人的には。
さっき調べて知ったのですが、
94年に第3版が出ていました。