親と医師の意見の対立(Riley Rogers 事件)

シアトル子ども病院生命倫理カンファのDiekema医師のプレゼンにて
親と医師の意見が対立した例として挙げられた3つの事件の1つ。

当のシアトル子ども病院で2006年6月に起こったケースです。

この事件についてDiekema医師の説明は
腎臓病の赤ちゃんに医師が透析をしようとしたところ母親が拒み、
病院の要請で親権が剥奪された、
すると母親が病院から子どもを誘拐した、
というものなのですが、

もう1つのMueller事件と同じく、
かなり重要な細部が省かれているようです。

確かに問題の赤ちゃんRiley Rogersは生まれつき腎臓が小さいので、
いずれ透析も移植も必要になるだろうとされていますが、
事件が起きた06年6月の段階で透析が必要だったわけではありません。

このとき医師が必要だと主張したのは
「将来透析が必要になる時に備えて、腎臓に管を通しておこう」という、
要するに予備的な手術だったのです。

これに対して、
家族に腎臓病の人が多く、それなりに知識があった母親は、
自然な治療で様子を見て、手術は将来実際に透析が必要になってからでも遅くない、
と主張したとのこと。

どうも、
Mueller事件でも、このRiley Rogers事件でも
州や警察の介入をすぐに求めなければならないほど
医師が主張する処置が差し迫って必要だったとは思えないのですが、

母親が手術に同意しないことから病院は裁判所へ訴え、
Rileyの親権は州に移ります。そして
子どもと引き離されてしまった母親は病院から子どもを連れ出してしまうのです。

このとき病院が「子どもは命が危ぶまれる状態にあり、危険が差し迫っている」と
警察に告げたために、通常の誘拐と同じ緊急の指名手配が行われました。
親子は2日後に発見されるのですが、

その後、病院は
「命が危ぶまれる状態が起こった場合には、問題が起こりやすい」子どもだったとトーンダウン。

さらにその後、
「赤ん坊の腎臓病をほうっておくと骨や成長に問題が生じる。
最終的には腎移植が必要だが、たいてい2,3歳まで待って行う」
との説明に変更。

この説明の変遷は、
逆上していた医師がだんだん冷静になると共に
事態がやっと正確に見えてきたということなのでしょうか。

この事件もまた、
思うようにならない親に
医療サイドが感情的になり過剰反応しただけなのではないか
という気がしてきます。

しかし医師の方は「ちょっと過剰反応だったかな」で済んだかもしれませんが、
Rileyの母親は5日間も投獄され、
その後も07年9月まで執行猶予。
誘拐の前科もつきました。
上の子ども2人も祖父宅に預けられて、
さらにこの事件の影響で、
当時内縁関係にあったRileyの父親とうまくいかなくなった、とのこと。

子どもの医療を巡る意見の相違が事件に発展した時に、
それがその後の人生に影響する度合いは、
医療職よりも親の方ではるかに大きいといえそうです。

(Diekema医師はRileyの母親の拉致行為について
 プレゼンの中でジョークを飛ばしていました。
 親が子どものためを思う気持ちをまず受け止めよとのメッセージを送ろうと講演する人が
 どうして親の必死の行為をジョークにできるのか?)

         ―――――――

Mueller事件にしてもRogers事件にしても、
親の言動が多少過激であったにせよ、
医療サイドももう少し冷静に
親と向き合えなかったものでしょうか。

この2つの事件は
「最善の利益」だの「害原則」だの「リスク対ベネフィット」だのといった
次元の話では全くなく、

ただ単に、
医療現場には旧態依然とパターナリズムがはびこっていて、
親とコミュニケーションをきちんと取れない
お粗末な医師のエゴが
不要な問題を起こしているというだけなのでは?



関連ニュースは以下

Mother held in kidnapping to be released
The Seattle Times, June 29, 2006


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The Seattle Times, December 31, 2006