「選別的中絶」というより「選別的子育て」


同じくHastings CenterのブログBioethics Forumに、
Alice Dreger& Joseph A. Stramondoが“Selective Parenting”(10月23日)を書き、

Lindemannの主張は選別的堕胎(selective abortion) というよりも
選別的子育て(selective parenting)というべきものだが、
子育てはもともと不確かさに満ちたものである、と反論しています。

Once you decide you want a child, parenting is going to involve a lot of uncertainty, a lot of taking and managing what comes. Thanks to things like meningitis and skateboards and elected officials who vote against SCHIP, no one knows which of our children will ultimately end up with a disability, any more than anyone knows which will end up to be a joy or a disappointment.

いったん子どもが欲しいと決めたら、子育てには不確かなことだらけで、
やってくるものを受け止めて、なんとかこなしていくしかないことが多い。
髄膜炎スケートボードや、選挙で選ばれたくせにSCHIPに反対投票するような公職者のおかげで、
どの子どもが障害を負うことになるやら誰にも分かりはしない。
最終的に親を喜ばせてくれるのがどの子で、失望させるのがどの子かなんて、
誰にも分からないのと同じように。

激しく共感。


                ----


Alice Dregerは
1月18日に同ブログに発表したAshley and the Dangerous Myth of the selfless parentというエッセイにおいて、
また5月18日のUWのシンポジウムでの発言においても、
障害のある子どもの親の介護負担について
「親の無私の愛」という神話を排除するべきだと訴えました。
1月に読んだ当初も強く共感したエッセイなのですが、今考えると、
Ashleyのケース以上にKatieのケースに当てはまる内容のように感じます。

母親Alisonの「無私の愛」を
Alison自身もメディアも喧伝し続けていたから。

1月18日のAlice Dregerのエッセイの内容については、また改めて。


(注)SCHIPは、米国の子どものための医療保険。民間の医療保険を買う余裕がないけど、そうかといって貧困層を対象にした公的医療保険であるメディケイドの対象になるほど貧しくはない、という層の家庭の子どもが対象。近年の無保険者の急増を受けて、州知事らを中心にSCHIPの対象範囲拡大を求める声が高まっているのですが、むしろ税の優遇で民間保険の購入へと誘導したいブッシュ政権はSCHIPの予算増に否定的で、NYTimesにも「子どもの健康に拒否権」などと揶揄されています。