「わたしのなかのあなた」から 1

Katie Thorpeのケースが裁判に持ち込まれ、Katie本人の利益はcafcassという子どもの権利擁護のための組織によって代理されることになったようです。それにより、Ashleyのケースにおける決定プロセスの安易さが改めて浮き彫りにされるような気がします。

そんなことを考えていたら思い出したので、「わたしのなかのあなた」(ジョディ・ピコー)という小説を読んでみました。

7月13日のシアトル子ども病院生命倫理カンファレンスの際、Rebecca D. Pentz 医師のプレゼン「兄弟の健康への手段として子どもを利用すること」で引用・紹介されていた小説です。

13歳のアナは、白血病の姉ケイトのドナーとなるべく出生前遺伝子診断で生まれたデザイナー・ベイビー。彼女が弁護士を雇って両親を訴えることから物語が展開します。主要登場人物それぞれの視点から書かれており、どんでん返しも用意されて、なかなか楽しめるミステリーでした。

また、この本は、子どもの法的な権利擁護が制度化されているのはイギリスだけではないと、思い出させてくれます。読みながら、医療における未成年や自分で決定できない人を巡る代理決定の問題は、このような兄弟間の移植であれ、AshleyやKatieのケースであれ、本質的に通じるところがあるなぁ……と感じたりも。

いきなり13歳の少女に裁判を起こしたいと頼まれた弁護士は、なぜ両親を訴えるほどの強硬な手段をとるのかとアナに問います。生まれた直後の臍帯血を皮切りに、リンパ球、骨髄、顆粒球、抹消血管細胞と、姉の病気の進行に伴って次々に体の組織を提供させられてきたアナの答えは、

「きりがないからよ」

これまでにそれだけの臓器提供をしてきたということは以前は同意していたのか、との問いには、

「だれも一度もあたしに尋ねなかったわ」
「腎臓を提供したくないということは、ご両親に伝えたのかい?」
「あたしの言うことなんか聞いてくれないもの」

これら2つの問答は、たしかPentz医師も上記のプレゼンで引用していたように思います。

後の法廷の場面で、

アメリカで両親が子どもに代わって決断を下すことが認められているのは、憲法で保障されたプライバシー権によるもの」という法的解釈が出てきます。

(この点は“アシュリー療法”論争の際も、支持・擁護の立場の人たちが親の決定権に関連して挙げていました)

一方、同じく後の法廷の場面で、

両親が既にその意思を示していたとしても、12歳から14歳に達した子どもは、正式なコンセントでなくとも、病院が勧める処置に同意の意思表示をする義務が生じる

と医療倫理審議会の委員長が証言する場面もあります。

(シアトル子ども病院の生命倫理カンファレンスで、 Lainie Ross医師の講演の中で mature minor という概念が出てきました。ここで言っているのがそのことかも。)

話を小説の冒頭に戻します。

アナの頼みを引き受けるつもりになった弁護士が、裁判の手順を彼女に説明する場面。

家庭裁判所にきみの訴状を提出しよう。医療目的のための能力付与を請求することになるな」
「そのあとは?」
「審理が開かれ、判事は訴訟後見人を選任する。訴訟後見人とは──」
家庭裁判所の訴訟に関わる未成年者を補佐するための訓練を受けた人。その子の最大の利益がなんであるかを決定する人。つまり、あたしの身に何が起こるかは、またべつのおとなが決めるってことね」
「でも、法律ではそうすることになっているんだから、そこを避けては通れない。ただし、後見人は理論上、きみの味方なんだ。きみのお姉さんや両親の味方ではなく

姉の病院の医療倫理審議会の議長(精神分析医)を弁護士が訪ねていき、アナに関する医療倫理審議会の審議記録について尋ねるシーンがあります。

「彼女(アナ)に関する医療倫理審議会の意見書はありますか」
「アナ・フィッツジェラルドのために医療倫理審議会が開かれたことは一度もない。患者は彼女の姉なんだから」

(アナが8回もその病院で処置を受けていることを弁護士に指摘されて)
「しかし、ああした処置が医療倫理審議会にかけられるとはかぎらんだろう。患者の要望に医師が同意していれば、また、その逆であれば、対立は起こらない。対立がなければ、われわれはそのことについて聞き取りすらする理由がない。われわれはフルタイムで仕事をしているんですよ、ミスター・アレグザンダー。われわれ精神分析医、看護師、医師、科学者、牧師といった職業の人間は、問題を探しに出かけていくわけじゃないんだ」
          

当ブログでも、コンフリクトがなければ最善の利益も問われないのではないか、Ashleyのケースが裁判に持ち込まれなかった最大の理由とは、単に親と医師とが合意したからではないか、との疑問を呈しています。

これは、FostやDiekemaのような考え方の医師を探して訪ねていけば、世間に知られることもなく、親は障害のある子どもにお好み通りに手が加えられる、ということではないでしょうか。

(シアトル子ども病院に関しては、今後5年間は DRWの監視の目が光ることになっていますが。)