Katieのケース 追加情報 2

まず、擁護の記事から。

既に成人して施設で暮らしている重複障害のある女性の養母がthe Daily MailにKatieの母親擁護の文章を書いています。the Daily Mailは“アシュリー療法”論争の際にthe Seattle Timesと並んで、極端に情緒的な記事を書いて両親を擁護した新聞でした。

次にthe Mirrorには、やはり障害児の母親が、娘をケアする1日がどのように大変なものかを時間を追って詳細に書いている記事。これほど大変なのだから、そんな生活を知らない人には批判の資格がない、というメッセージのようです。


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一部重複しますが、the Timesのこのケースについての7日、8日の記事は以下。こちらは中立的です。

この中に、Katieには「重症の学習障害がある」と書かれています。知的障害について障害名を出して触れているものは、今の段階で私が見つけた記事の中では他にはありません。(もちろん、見落としているものもかなりあるとは思いますが、いずれにしても知的障害名があるのは少ない印象なのですが……。)


【追記】その後、Katieに関する様々な記事を読むと、彼女の知的障害を「学習障害」と分類することは不適切だと思われます。少なくとも母親はKatieにはAshleyと同様の重篤な知的障害があると訴えているようです。

【追追記】その後、名川先生に教えていただきました。英国でlearning disabilityというと知的障害のことなのだそうです。

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批判の声としては、

これまで紹介したScope, the UK Disabled People’s Councilのほかに、the Royal Association for Disability and Rehabilitation (RADAR)のCEOであるLiz Sayceがthe GuardianにAuthors of our own destiny (10月9日)という文章を書いています。

障害の有無を問わず自己決定がいかに大切かを語り、自身のニーズや望みを表現しにくい人のために社会全体として代理決定がきちんと行われる法的システムの必要を訴える内容。また親が子どものためを思う気持ちに疑いは持たないが、親が常に子どもの最善の利益を判っているとは限らない、親からの自立は全ての子どもにとって、勝ち取るためには苦労しなければならない権利(a hard-won right)にもなりうる、とも。(青い芝の会の「親が一番の敵」という言葉を思い出しました。)

それから、"アシュリー療法"論争の時にもすばやい抗議行動を行ったFeminist Response In Disability Activism(FRIDA)も10月9日付で抗議声明

「障害のない子どもに行われてはならないことが障害があるというだけで何故許されることになるのか」と問いかけ、充分な支援に向けて変わるべきは社会であること、国連の障害者人権条約にbodily integrityは人権であると謳われていること、などを指摘。そして、Katieの子宮摘出が行われれば多くの障害女児の体に対する侵害へのドアが開かれることになるとの懸念で締めくくられています。


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FRIDAの声明の最後に書かれている懸念がとてもリアルになっていることを感じます。批判の声がもっと出て欲しい……と焦りにも似た思いになるのは、時間がないかもしれないから。

Alison Thorpeが言っていることは、アシュリー事件の前例がなかったら、恐らくは医師からも世間一般からも、これほど受け入れられず、もっと詳細な議論が必要とされていたはずです。しかし、アシュリー事件を前提に、Katieのケースはあまりにもたやすく受容され、進んでいくように感じられます。

非常に特殊な事情のもとに行われた可能性のある“アシュリー療法”。その特殊な事情を考えれば、アシュリーのケースは一般化されてはならない、前例になってはならない事件だったかもしれないのに。