AAIDDから成長抑制批判

そっくりいただいたものなのですが、米国知的・発達障害学会(米国精神遅滞学会から改名)AAIDDの学会誌10月号に “アシュリー療法”について「正当化できない非・治療:障害を根拠とする若年者への成長抑制の問題」と題した論文が掲載されました。

Unjustifiable Non-Therapy: Response to the Issue of Growth Attenuation for Young People on the Basis of Disability
Intellectual and Developmental Disabilities  VOLUME45, Number5:351-353

著者は以下の13名。
Hank Bersani,Jr., David A. Rotholz, Steven M. Eidelman, Joanna L. Pierson, Valerie J. Bradley, Sharon C. Gomez, Susan M. Havercamp, Wayne P. Silverman, Mark H. Yeager, Dane Morin, Michael L. Wehmeyer, Bernard J. Carabello, and M. Crosser

文末に「AAIDDの理事会はこの論文を同学会のa position statement(意見表明)として受理した」との但し書きがあります。

アシュリーに行われた成長抑制療法については、Archives of Pediatrics and Adolescent Medicine 誌に担当医らの論文と同時に、編者であるBrosco & FeudtnerのEditorialが掲載されており、上記論文はこのEditorialの内容に沿って批判を展開しています。(Editorialの内容については次のエントリーに簡単にまとめて同時にアップしますので、よろしければ、そちらを先にどうぞ。)

Bersaniらは、まず冒頭で「知的・発達障害の分野における専門家を代表する米国で最も古い学際的な学会であるAAIDDの指導者として」重症障害のある子どもたちの親の心配や苦難も、支援の必要も、医療やハビリテーションを含めた新たな支援方法の必要も充分に周知しているとした上で、なおかつ利益の可能性と、慎重に検討したリスクとのバランスについての徹底的な評価が必要だと述べます。そして同学会の指導者として「我々は成長抑制を全く受け入れることのできない選択肢とみなす」。Brosco & Feudtnerが指摘した懸念を同じくすると同時に、AAIDD独自の懸念も付け加えるとしています。

Brosco & Feudtner が指摘した4点以外に、この論文が独自に指摘していることは以下の点のようです。

・アシュリーの知的機能に対する担当医らの判断は「主観に彩られている」こと。脳性まひ者を中心に、運動機能に重い障害のある子どもの認知機能が間違って低く評価されてきたエビデンスは多く、その問題がアシュリーのケースでは無視されている。

・Brosco & Feudtnerが、人間には外見以上の価値があるとする障害者の権利擁護の立場に立つならば背が低いことは問題にならないはずだと述べている点について、権利擁護の運動が障害のある人を社会の価値あるメンバーとして認めるからといって、人の成長を抑制することを正当化するものではない、この指摘は障害者運動の主張への大きな曲解であり論理を転倒させている、と批判。

・Brosco & Feudtnerが成長抑制を治療の1形態として受け入れていることに対して、アシュリーの典型的な成長を目的としたものではないことから疑問を提示。

・アシュリーに行われた成長抑制が実施に至ったプロセスへの疑問。本人の意思が確認できない上に緊急性もない以上、実施以前に利益を証明する大きな責任があったはずだが、そのような利益のエビデンスは伺えないこと。委員会の検討プロセスが主治医論文で述べられている以外には(しかも今後のケースに向けたもののようだし)、本人の法的権利を独立して代弁をする者が不在であること。障害者の権利擁護と自己決定に知識のある専門家が不在。選択肢が広がりつつある在宅サービスに詳しい専門家も不在。

・親の決定権は絶対的なものではなく、子どもには倫理原則と法律において固有の権利と保護が保障されている。アシュリーの状況ではこの問題こそが最も中心となるべきであったのに省みられていない。

・成長抑制が広がれば、虐待の懸念が大きい。体重増加が介護者である親の負担となった場合、肥満手術やカロリー制限が治療とみなされる。それでも効果が足りなければ、将来に渡って歩くことのない子どもの場合は脚の切断もあるだろう。子どもの行動が介護者のストレスになる場合には、薬物を使って介護を楽にすることも許されることになる。

そして、結論部分、

いまだ不透明な将来に対する親の不安が、子の医療上の最善の利益に置き換えられてしまえば、どんなに関係者の志が尊くとも、個々に行われる医療はあっという間に腐敗する。……(障害者に対する虐待の歴史にかんがみて)我々は2006年に成長抑制の相対的な利益がこのフォーラムにおいて真面目に議論されるトピックとなりえた事実そのものに、唖然とし憤りを覚えるものである。……(すべり坂議論には慎重になるべきではあるが)このような医療が受け入れられるものだと判断された場合には大きな悲劇へのドアを開くことになると我々は確信する。このドアは閉めておく方がよい。

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担当医らの論文が、アシュリーのケースでの倫理的検討過程については全く触れていないのに、あたかも述べているかのようなマヤカシを仕組んでいることは、当ブログでも指摘しているところです。担当医論文をここまで読み込んでの批判記事はこれまでなかったので、個人的には、この点でちょっとにんまりしました。

またアシュリーの認知能力についても、生後3ヶ月相当とする担当医らの根拠が乏しいこと、表出能力が限られているだけである可能性などを指摘してきました。(「ステレオタイプという壁」は、この問題を巡る書庫です。)

第1オーサーの Hank Bersaniは知的障害者の教育畑の人のようです。上記論文では主治医に気を使ってか、「このような状態について主治医よりも詳しいというフリをするつもりはないが」と断っていますが、医師は病気について障害について知識があるにせよ、生身の一人ひとりの障害者の姿や実際の生活については、触れることが少ないのではないでしょうか。医師が障害児である患者と接する時間と状況を考えてみると、生身の障害児の実像や日々の生活には教師の方がより近いと言える側面があるように思います。

だからこそ、「最善の利益」や「リスク対利益」、「無益な治療」などについては、医療の世界だけの閉じた議論にせず、障害児に関わっている他分野の専門家と共に(指導するのではなく)論じて欲しいと思うのです。そういう意味でも、AAIDDのような学際的な組織から批判の声が上がったことに拍手を。

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実は、第1オーサーのBersaniは担当医らの論文が掲載されたArchives of Pediatrics and Adolescent Medicine誌の5月号に、上記論文と主要部分のタイトルが全く同じ Unjustifiable Non-Therapyという論文を発表しています。同じ号にGunther&Diekemaの反論も出ています。いわば、上記論文の前哨戦がこちらで行われていたことになるのですが、そちらはまだ読めていません。

アブストラクトを読んだ限りでは、Bersaniが「どんな子どももその子なりに成長する可能性がある」と主張したのに対して、「多少の成長があったとしても、アシュリーは大局的には体が大きくなるだけ」と担当医らがこれまでどおりの主張を繰り返したということのようです。

さらに同じジャーナルの4月号にも、別人と主治医らとの間に応酬があった模様です。これらについては、ちゃんと読んでから、また改めて。