Diekemaの上司なのに批判? (Benjamin Wilfond)

これまで何回かに分けてScientific American.comでのメール討論を眺めてきましたが、その意図について同サイトは「(メディアが騒ぎ議論が百出しているので)雑音に惑わされないために、最初にこの療法を承認した倫理委員会のメンバーと同じような意見を持つ3人の生命倫理学者に、専門家としての意見を語ってもらうよう依頼した」と書いています。

そこで不思議なのが、その3人の顔ぶれ。2人はこれまで発言を詳細に検討してきた通りNorman Fost とJoel Fraderなのですが、もう1人がBenjamin Wilfond。彼はシアトル子ども病院・トルーマン・カッツ小児生命倫理センターのディレクター。すなわち、あのDiekemaの直属の上司に当たる人物なのです。WUのシンポでも主催側として開会の挨拶に立っていました。

“身内”であるWilfondがこのケースについて客観的な意見を述べられるはずはないのに、なぜサイトの文章は上記のように、あたかも客観的な意見を述べてもらうために招いた専門家の1人だといわんばかりなのか、不思議です。しかし、もっと不可思議なのがWilfond自身。この討論で彼が言うことは、まるきり部外者的なのです。

Wilfondのメールは一度だけです。その概要を以下に。

Frader先生が指摘した通り、最も重要なのは重症児と家族への支援サービスの充実。しかし体が小さい方が動かしやすいのも事実で、これは支援サービスが充実しても当てはまる。

その他に考えたいのは、①目的と手段を区別すること。成長抑制はカロリー制限で可能。胃ろうなのだから、親が家で勝手に注入カロリーを抑えれば目的は達成できたこと。このケースで特徴的なのは家族が目的達成のために医療職の関与を求めたことだ。

②将来アシュリーが大きくなると世話が困難になるというのは推測に過ぎない。実際どのくらい大きくなるかを見極めてからでも手段はあったのでは。現実には案じたほどにはならないということだってある。しかし、そうとばかりは限らないので、両親の決断はリーズナブルにもなり得ると思う。時間をかけて検討したのだから両親の望みを尊重すべきだと思う

③Frader先生と同じく、私も一番懸念するのは手術のリスク。しかし重症児のケアを改善するために行われる外科手術は、胃ろう造設、扁桃腺切除、気管切開、胃底ひだ形成術(反射軽減)、脊椎固定術(姿勢矯正)など多い。手術に対する親の考え方は人それぞれ。子宮摘出を考えている親には、現にいま生理のある子どもと介護者がどのように対処しているか分かるような研究があれば参考になると思う。しかし、重症児のQOL向上のためにリスクとバランスをとりながら手術することも珍しいことではない。

……で、あなた、結局、賛成なんですか反対なんですか???????

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ちなみに彼は同じ日のSeattle Post-Intelligencerの記事では、アシュリーの親の決断は口蓋裂の子どもに手術をしたりADHDの子どもに薬を飲ませるのと同じだと述べ、「子どもが人との関りを持てるようにするべく行われる医療は沢山あり、これはそのカテゴリー」と言っています。上記のメール討論でのように両義的ではなく、こちらはきっぱりした擁護。

メール討論での発言で特に面白い言い回しが見られるのは②の太字にした箇所。I do think……という強調を2度繰り返しています。しかも、a decision to limit growth because of this concern could be reasonable. 「(状況によっては)リーズナブルになることだってあり得る」と。「リーズナブルだ」と断言しているのではなく、「リーズナブルになる可能性も場合によってはあるだろう」と、I do think。Fraderの「たぶんOK」を彷彿とさせます。

批判しながら、でも自分は賛成なんだと必死で誰かにアピールしていたFraderと同じく、Wilfond発言に見られるのも、2つの意識の間で引き裂かれているといったブレ方ではないでしょうか。

しかしWilfondは部外者のFraderとは違ってDiekemaの上司であり、シアトル子ども病院の倫理部門の責任者なのです。成長抑制の手段が間違っているだの、手術のリスクがあるなど疑問を感じたのであれば、検討過程でその疑問を呈することもできたし、そうすべきだったのではないでしょうか。なぜ、そうしなかったのか?または、できなかったのか?

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なお、上記のWilfond発言のうち、「アシュリー問題で特徴的なのは、親だけでできたはずのことを、わざわざ医療職を巻き込んでやった点だ」という指摘は、案外重要かもしれません。

特に倫理委員会での議論を初め、“アシュリー療法”が実施されるに至った舞台裏をすべて知っているはずの医師による指摘である点を含め、今後改めて考えてみたいと思います。