医師らの懸念

2月9日付Salonの記事には、このたびの処置に批判的な立場の病院内の医師らの懸念として、「倫理委から外部の人が排除されたために、病院内の議論のニュアンスと複雑さが一般の人たちに伝わらない。そのために、他の障害児にそれだけ簡単に“アシュリー療法”が行われてしまうことになりはなしないか」との心配が書かれています。

この心配が言う「病院内の議論のニュアンスと複雑さ」とは、つまり「この一家だったから病院側の特例的な判断により認められたことであり、他の家族だったら起きなかったこと」との事情の特殊性のことなのではないでしょうか。アシュリーのケースは特例中の特例だったという事情が伝わらないために、本来は一般化されるべきでない“アシュリー療法”が他の子どもへと一般化されやすくなることを、反対した医師らは懸念していた、ということはないのでしょうか。

上記の心配に続いて、彼らが当初手術に反対した理由の1つは「このケースが前例を作ってしまうことを心配したため」だとも書かれています。

私が最も懸念するのも、この点です。もしもアシュリーのケースが実は「この一家だったから起こったことであり、他の子どもではまず認められなかった」と言えるほどに特殊な事情の下で行われたことであると仮定するならば、そんな極めて例外的なケースで重症児に対するこのような医療介入の前例が出来てしまうことは、恐ろしく危険なことなのではないでしょうか。

アシュリーに行われたことは、2年間も表に出ることはありませんでした。医師らの論文の内容や書き方を振り返っても、最初から論文発表が予定されていたとは思えません。

もしも万が一にも、2004年、病院サイドはずっと表に出さないつもりでやったことだったのだとしたら……? 

ところがその後、当時は予想もできなかった展開から論文発表を強いられ、さらに彼らの意に反して全てが表に出てしまったために、病院サイドは引くに引けないところに追い込まれてしまったのだとしたら……?

そのために医師らは、もはや倫理委で通常通りの検討を行ったかのようにごまかし続け、本当にこうした処置が重症児のメリットになるのだ、知的レベルが低い子どもにはそのほうがふさわしいのだと言い張る以外になくなっているのだとしたら……? 

そして、本当は前例になるはずのなかった症例が、今では危険な前例になりつつあるのだとしたら……?