painful な議論?

前々回、当該倫理委当日の記録の中の一節を引用しましたが、実はその中に不思議な形容詞が使われています。

The discussion was ………. painful….

倫理委の議論がpainful、苦痛に満ちたものだった、というのです。

倫理委の議論を形容するのに頻繁に繰り返されているのはcareful, extensive, lengthy, long などですが、ここで使われているpainfulとは、それらとはかなり趣の違う形容詞です。その他の形容詞が比較的客観的なものであるのに対して、painfulはどちらかという主観的な、ニュアンスの濃い言葉のように思われます。

これまでDiekema医師が倫理委について説明してきた内容からすると、まったく矛盾して不思議な形容なのですが、ここでもまた、うっかり「語るに落ちて」しまったのでしょうか。倫理委の議論の何が、誰にとって、どのようにpainful だったというのでしょう。

今ではセーフガードなど不要といわんばかりの発言に終始している医師らですが、実は去年秋の論文では「恣意的な適用」を懸念し、くどいほどセーフガードの必要を説いていました。もしかしたら論文を書いた時点では医師らには非常に強い良心の呵責があったのだけれど、その後は状況の変化と共に自己保身の必要に迫られて、それをかなぐり捨てざるを得なかったのではないかとの仮説を「医師らの論文の矛盾」のエントリーで提示しました。2006年秋にそれほどの良心の呵責があったと仮定すれば、実施を決定した2004年の倫理委員会では、彼らの良心の呵責はもっと強かったのではないでしょうか。

当該倫理委の記録に唐突に、場違いに登場するように見えるpainfulという形容を、この仮説の文脈で考えてみたら、どうでしょうか。つまり、倫理委での議論は医師としての彼らの良心にとってpainfulなものだったと考えてみたら、彼らがついこんな形容詞を使ってしまったことも、さほど不思議ではなくなるのではないでしょうか。

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これまで①~⑨のシリーズで検証してきた「倫理委の不思議」と、それ以前の様々な角度からの資料の検証からは、多くの不可思議が浮かび上がってきました。それらの不可思議に対して説明のつく状況というものを想像してみた時に、そこから立ち上がってくる疑問とは、次のようなものではないでしょうか。

2004年5月5日の倫理委は、もしかしたら“最初から結論ありき”だったのでは……?