Wilkinson&Savulescuの「無益な治療」論文(11)を読んでみた

“Knowing when to stop: futility in the ICU
Dominic J. C. Wilkinson and Julian Savulescu
Current Opinion in Anesthesiology, 2011, 24:160-165


これも、前のエントリーで読んだ論文と同じく、
落ちていく先はコスト論。

無益な治療論争は定義が一定しないまま、いったん下火になったが、
Betancourt事件Golubchuk事件などで、またぞろ再燃しているとして、

集中治療室における無益な治療をめぐる係争の周辺の文献を概観し、
ざっと以下のことを提言。

・客観性を装う「無益」から「医学的に不適切」に表現を変えて
医療職の価値判断であることを明示。

・「医学的に不適切である」理由の説明を家族にはっきりと行う。
そこには本人への害となることの説明と共に、
他者(限られた資源が他に回されると利益を受ける患者)への害も含めて。

・上記2つの害の可能性を検討して公平公正な判断を行うためには
 病院内倫理委のコンセルテーションによるテキサス型の決定過程が望ましい。

そこで著者らが引いているのは、
2003年にJAMAに報告された調査結果。

治療をめぐる係争が倫理委コンサルテーションで検討されたケースでは
致死率に影響することなく、呼吸器使用、ICU滞在、入院期間が短縮できた。

で、著者らの結論は、

…… it is ethical for doctors to decline to provide treatment that is judged to be medically inappropriate or futile either when such treatment is contrary to the interests of the patient or when there are insufficient resources to provide treatment of this level to benefit.


いつのまにか
本人利益にならない場合と、または社会資源が不足している場合のいずれであっても
治療の提供を医学的に不適切だと判断して拒否することは倫理的だと言われてしまう。

でも、少なくとも後者は「医学的に」不適切だとの判断ではない、と思う。