「“アシュリー療法”ついに一般化か」書きました

米国ワシントン州のシアトルこども病院が、親の要望により、重症障害のある当時6歳の女児アシュリーから子宮と乳房を摘出し、さらにホルモン大量療法によって身長の伸びを抑制したことで世界的な議論が起きた2007年の“アシュリー療法”論争とその続報については、同年3月号以降、当欄で何度か紹介してきた。
この事件との出会いは、アシュリーとほぼ同じ障害像の娘を持つ私にとって、それまでの世界観を揺るがせるほどの大事件だった。07年5月にブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」を立ち上げ、事件の展開を追いかけながら、こうした事件が起こされてしまう今の世の中のあり方や時代性についても考えを巡らせてきた。そうした4年半の検証と考察を、去年の秋に「アシュリー事件 メディカル・コントロールと新・優生思想の時代」(生活書院)という本に取りまとめて上梓したところだ。その中で私は「アシュリー事件はまだ終わっていない」と、何度か書いている。
07年当初の論争では、障害者の権利擁護団体WPASの調査により、子ども病院は手続きの違法性を認め、今後は裁判所の命令なしに子宮摘出は行わないとWPASと合意した。しかし、その後もアシュリーの父親は広く世界中の重症児に一般化していく夢を語り続け、担当医やその周辺の医師らはシンポジウムを開き論文を書いては正当化に努めてきた。その動きも10年秋の論文の後は途絶えて久しい。しかし、上記WPASとの最初の合意期限の12年5月に向け、水面下で進められているシナリオがあるのでは、との懸念が私には続いていた。一方で「そうでなければよいが」と願ってもいたのだけれど、やはり私の懸念が現実のものとなってしまったのかもしれない。
3月15日、英国の新聞ガーディアンにアシュリーの父親のインタビューが掲載された。Eメールにより1週間かけて行われたもの。依然、匿名のままである。もうすぐ15歳になるアシュリーの身長は07年から2センチ伸びて137センチ、体重は4キロ増えて34キロ。楽しく毎日を送っており、“アシュリー療法”は成功だったと語るだけでなく、07年以降に連絡を取り合い情報交換をして、これまでに少なくとも12家族が重症障害のある子どもに同療法を行ったとも明かした。既に“治療”を終了した子どもは6人(米国4人。ヨーロッパとオセアニア各1人)で、うち2人が男児。手術を受けたのは3人で、残り3人は成長抑制のみ。
ガーディアン紙はそのうちトム(12)とエリカ(14)(共に仮名)の母親に取材して、追加記事を書いている。驚くのは2人とも赤ん坊の頃にもらわれた養子であること。さらにトムの成長抑制とエリカの子宮と乳房摘出については、医師の単独の判断で実施が決められているように思われることだ。
母親は2人とも「本人のQOLのため」「医療はすべて自然に逆らい神を演じること。抗がん剤治療と同じ」「障害児・者のうち1%程度の重症児だけが対象。批判する障害者はその点を誤解している」など、これまで医師らが繰り返してきた正当化論を踏襲している。一方、アシュリー・ケースでは「親が介護しやすいように小さくしたわけではない」と繰り返し否定されたはずの「介護の便宜を図る」目的が、ガーディアンの記事ではさりげなく盛り込まれていることが気にかかる。
また、07年にニューヨーク・タームズ紙でいち早く擁護論を書いた功利主義の哲学者ピーター・シンガーが、この度も父親のインタビュー翌日にガーディアンに登場。「尊厳や権利の侵害だからこの療法は禁止しろという声があるが、在宅介護を可能としQOLを維持して本人の利益になるなら、病院内倫理委の検討を条件に認めるべきだ」と説いた。そして「乳児は可愛いが尊厳ある存在ではない。これは大きな身体のまま赤ん坊の知的レベルに留まる高齢者でも同じことだ」と、この度はわざわざ高齢者に言及した。
そういえば直前の3月12日には、07年の論争で成長抑制の擁護論文を書いた生命倫理学者マシュー・リアオがアトランティック紙で、地球温暖化のために、肉を食べたくなくなる薬や環境保護の姿勢を涵養する薬とともに、人の身体を小さくするための薬と遺伝子組み換え技術を開発すべきだと提唱している。
いったい何が起ころうとしているのか。この世界はどこへ向かおうとしているのか……。やはりアシュリー事件はまだまだ終わってなどいない。様々な意味で――。

「世界の介護と医療の情報を読む」
介護保険情報」2012年5月号