Ouellette「生命倫理と障害」第5章 Valerie裁判
条件により容認へと変わる転換点となった裁判。
Valerieは当時29歳。ダウン症でIQは30。
母親と母親の再婚相手と幼時から一緒に暮らしており、
両親はなるべく本人に自由で広い社会生活を送らせたいと願っているが
性的な関心が強いValerieが場所や相手を構わず男性に性的行為を仕掛けていくので
両親の目の届くところから外へ出しにくく、
母親と母親の再婚相手と幼時から一緒に暮らしており、
両親はなるべく本人に自由で広い社会生活を送らせたいと願っているが
性的な関心が強いValerieが場所や相手を構わず男性に性的行為を仕掛けていくので
両親の目の届くところから外へ出しにくく、
ピルは身体に合わなかったし、
その他の方法を試そうにも本人が受診を嫌がるので、
医師から卵管結紮を勧められた、
その他の方法を試そうにも本人が受診を嫌がるので、
医師から卵管結紮を勧められた、
Valerieには、可能な限り豊かで実りある人生を送る自身の利益を守るべく
子どもを産む・産まない、産まない場合の避妊方法についての決断を
両親に代理決定してもらう憲法上の権利があるかどうか、が焦点となった。
子どもを産む・産まない、産まない場合の避妊方法についての決断を
両親に代理決定してもらう憲法上の権利があるかどうか、が焦点となった。
憲法が結婚と生殖の自由・権利を認めている以上、
障害のある女性にも障害のない女性と同じく
望まない妊娠をせずに満足のいく充実した人生を送る権利があり、
州法によって不妊手術が全面禁止されるならば
自分の状態に応じた唯一の安全な避妊方法を奪われる人が生じる、として、
障害のある女性にも障害のない女性と同じく
望まない妊娠をせずに満足のいく充実した人生を送る権利があり、
州法によって不妊手術が全面禁止されるならば
自分の状態に応じた唯一の安全な避妊方法を奪われる人が生じる、として、
3人の裁判官が反対意見を述べたが、その理由としては以下の2点。
ただし、Valerieの両親の要望は
より侵襲度の低い方法では目的が達成できないとのエビデンスが十分ではないこと、
Valerieが実際に妊娠する可能性のエビデンスが十分ではないこと、
などの理由で却下された。
より侵襲度の低い方法では目的が達成できないとのエビデンスが十分ではないこと、
Valerieが実際に妊娠する可能性のエビデンスが十分ではないこと、
などの理由で却下された。
・・・
両者に意見の相違があったのは、
本人以外の誰がどのような状況下で決定することができるのか、という点だけれど、
本人以外の誰がどのような状況下で決定することができるのか、という点だけれど、
厳しいセーフガードを必要とする姿勢は
障害者アドボケイトだけでなく生命倫理学者の間でも共通している、として、
生命倫理学者Diekema、Cantor、障害学の学者 Fields、3人の議論を引用している。
障害者アドボケイトだけでなく生命倫理学者の間でも共通している、として、
生命倫理学者Diekema、Cantor、障害学の学者 Fields、3人の議論を引用している。
Diekemaはお馴染みAshley事件の担当医だったわけなのだけど、
A事件の正当化とは全く矛盾する彼の慎重論を知らん顔で引っ張ってくるあたり、
ウ―レットもなかなかやるんである。
A事件の正当化とは全く矛盾する彼の慎重論を知らん顔で引っ張ってくるあたり、
ウ―レットもなかなかやるんである。
Cantorの議論は、
望まない治療を拒否する権利と同じ、以下の3つの利益基準を適用し、
望まない治療を拒否する権利と同じ、以下の3つの利益基準を適用し、
① 自己決定という利益
② 幸福における利益(治療決定の影響を全体的に捉える)
③ 身体の統合性を維持する利益(無用な身体の侵襲を受けない自由)
② 幸福における利益(治療決定の影響を全体的に捉える)
③ 身体の統合性を維持する利益(無用な身体の侵襲を受けない自由)
Martha Fieldは裁判所の判断を必須としつつ、
さらに「裁判官にも偏見や欠陥がある」と述べて
裁判所の審理にも厳格な基準を設けるべきだと主張。
さらに「裁判官にも偏見や欠陥がある」と述べて
裁判所の審理にも厳格な基準を設けるべきだと主張。
(オーストラリアのAngela事件を思うと、これは重要な指摘だと思う)
特に、本人の最善の利益判断においては
家族や社会の利益ではなく、本人だけの利益に限定する必要を強調している。
家族や社会の利益ではなく、本人だけの利益に限定する必要を強調している。
この後ウ―レットが書いていることが、私には非常に気にかかる。
そのAshley事件でのシフトを起こしたのは、Diekema自身――。
ウ―レットがここで書いている「まだ」という一言は、決して小さくはない。