「夏にプールに入れる」というQOL

先週、ミュウを迎えに行ったら、
心施設に向かう廊下でスタッフの一人とばったり出くわした。

「この前、プールで遊んだんですよ」
「えっ?」

いきなり聞かされたものだから、心底、仰天した。

「夏にプール」で仰天するなんて、大げさな……と思われるかもしれないけど、
寝たきりの大人サイズの体がねじれていたり、ねじれたなりに硬直していたりする
重い障害のある人と介護者にとって、プールに入る(入れる)というのが、どれだけ大変なことか……。

ミュウが小さなうちは、我が家でも夏になれば海にも連れて行ったし、
家の前に親子3人が余裕で遊べるほど大きなプールを組み立てもした。

おむすびをいっぱい作っておいて、プールで遊んだ後は
濡れたままの身体で、ビーチパラソルの下で、おむすびを頬張る。
そういうのが我が家の夏の定番だった。

6歳の頃だったか、
どうしても上がらないと言い張るので、ついつい遊ばせていたら
唇が青ざめてきたので、ついに強制退去に及び、
プールから引きあげて玄関のタオルの上に下ろしたとたんに、
近所中に響き渡るどでかい抗議の泣き声を放ち、
そのまま長い間盛大に泣き続けた年があった。

言葉を持たない子が
「まだ、やるんだぁぁぁぁ!!!」
「なんで、勝手にやめるんだぁぁぁぁ!!」
「こんなの許せないぃぃぃぃぃ!!!」と
仰向けで空中に地団太踏みながら猛烈に怒りまくっていた。

本人に聞くと「覚えていない」フリをしているけど
夏になると父と母の間で必ず出てくる思い出話だ。

学校に上がってからは、
毎年、授業で何回かスポーツセンターの温水プールに入れてもらって、
そのたびにミュウはホンモノのプールでごきげんだった。

小学校時代には、夏休みに家でプールを出す時に、
担任が水着を持ってきて一緒に遊んでもらったこともあった。

でも、中学校、高校と体が大きくなるにつれ、
家の前にプールを出すことは少なくなっていった。

準備もそれなりに大変なのだけれど、これは元気なうちにルンルンとやるからいい。
水に入った後、どっと重たく疲れた体での後片付けが、実はものすごくしんどい。

それから、ここは実際に障害のある子どもと生活している人でなければ
なかなか分かってもらえないところだろうけど、
プール遊びの後にも、子どもの介護は常と同じく続くので、
着替え、オムツ交換、車イスへのトランスファー、食事作り、食事介助、
食事の後片付けと並行して薬を飲ませて、歯を磨いて顔を拭いて、
トランスファー、オムツ交換、着替えて、トランスファー、本を読んで、寝かせて、
一緒に寝て、夜の間、何度か寝がえりをさせて、喉が乾いたと言えば
夜中に起きだして冷蔵庫に取りに行って飲ませて、またオムツを替えて、
寝てくれるかと思ったら2時や3時にキャピキャピされて
虐待に及びそうな自分を必死で抑制し、そのことにさらにぐったりとし……と

非日常的なことをやって非日常的な疲れ方をしてしまったからといって
省略できることはないし(さすがにプールに入った日はシャワーだけはパス)
誰か替わってくれる人がいるわけでもなく、
重く疲れた体を娘の幸せそうな笑顔で励ましながら
父と母とでいつもと同じようにこなしていくしかない。

で、学校でホンモノのプールに入れてもらうのをいいことに、
だんだんと我が家のプールには出番がなくなっていった。

高等部を卒業するころには、
親の方も通常の介護で腰やひざをやられることが増えて来て、
もうプールなんて考えられなかった。

高等部を卒業した次の年だったか、その次だったか、
施設の方で何人かずつ順番に室内プールへ連れて行ってくださったけれど、

コイズミ政権の露骨な福祉切り捨てからこっち
年々ジリジリと職員の数は減り、残った職員の半数以上がいつのまにか非正規となって、
どうかすると、みんな、目の下にクマを作って働いておられる。

そんな姿を見ていると、
ミュウの人生で、夏にプール遊びができる季節そのものが
もう終わったんだなぁ……と、なんとなく思っていた。

2年前に
「たぶん親も本人も体力的に最後のチャンスだから」とUSJ旅行を敢行したのと同じような意味合いで、
「夏にプールで遊ぶ」という時間も、もうミュウにはないのだろうな、と漠然と思っていた。

そして、そんなことを思うたびに、
大事な宝物を手のひらで転がしていとおしむみたいに
玄関で抗議の爆泣きを続けた、あのミュウの姿を思い出しては夫婦で懐かしんでみたりする。

だから、この夏のはじめに、
園の駐車場の一角に、真新しい大きな組み立て式プールが出現した時にも、
療育園の隣にある肢体不自由児施設が設置したプールだというのはすぐに分かったし、
それは我が子とは無関係なものとして、特に意識して目を止めることもなかった。

なので、廊下で出会いがしらに「プールで遊びました」と聞かされて、
本当に、心底、仰天してしまった、というわけなのです。

「もう何年も、園ではそういうことをしていないし、
こういう言い方もナンですけど、もうちょっと年をとってくると
入りたくても体力的に入れなくなったりもするから、
若い人たちだけでも、今の内に入れてあげたいということになって……」

思わず、じん、と涙ぐんでしまった。

この人たちだって、過酷な労働環境で、
日常の普通の仕事をこなすだけでも疲れ果てているのに、
こんな猛暑の夏に、そこに追加して、そんなハードな計画を……と
思うと、心の底からありがたくて、

そして、そのおかげで、
もう二度とプールに入ることなどないだろうと諦めていたウチの子が
また、そういう経験ができたんだ、楽しかったんだ、と思うと
じん……と嬉しさが心に沁みてきて。

「ミュウさん、大喜びで、キャーキャー言ってました。
金魚すくいのポイが気に入って、頑として放さないんですよ」

そこで、また我々夫婦は「あれは、たしか6歳の夏に……」
例の抗議の大号泣の思い出話をひとくさり。
大笑いしつつ、喋りながらまた涙ぐみつつ、
ひょいっと抱き上げれば、どこへでも行け
何でもさせてやれた頃の思い出のヒトコマを披露する。

療育園に行くと、いつもの連絡ノートにプール遊びの写真が3枚はさんであった。

オシャレな水着を着せてもらい、浮き輪に入って職員さんに支えられているミュウ。
口をとがらせて、ポイでプラスチックの金魚を掬いにいくのに熱中している。

水をバシャバシャさせながら顔全体で「ギャッハー」と喜ぶミュウと、
ミュウの隣で大きな浮き輪に入ってくつろぐ、40代のヨーコさん。
その向こうで、何が気に入らないのか、ぶすっとふくれ面になっている、みっちゃん。

そして、最後の写真は、
和やかな表情で、ゆらゆら水を楽しんでいるミュウ。
そこにいるウチの娘は、親にはあまり見せることのない23歳の「女性」の顔をしていた。

穏やかな時間、ゆらぐ水面に夏の陽がキラキラして……。


もちろん目の前にいるミュウの笑顔は
いつだって母を一番ハッピーにしてくれるマジックなのだけれど、
いつからか、親の知らないミュウの時間の中で、この子が見せる笑顔やくつろいだ表情に
何よりもかけがえのない嬉しいものを母は感じるようになった。

その写真を何度も繰り返し眺めながら、つくづく思う。

QOLを決めるのは、その人の障害の種類や程度じゃない。
QOLは、周りにいる人たちの、その人への思いが決める――。

そして、たぶん、その思いを実現可能にする社会資源とが――。


その後、父と母はお盆休みに向けて、町に家庭用のプールを探しに行きました。

ミュウが体を伸ばして入れるサイズでは売れ残りの最後の一つだったため、
ラッキーなことに半額でゲット。

昨夜も腰に湿布を貼って寝たことを思えば、
あはは。もう、ほとんど「決死の覚悟」です。

加えて、これだけ酷暑だと、
本当に外で遊べるかどうかも分からない。

でもね。

昔のようにプールを用意して、
梅干しと昆布と海苔と沢庵もそろえて、
お盆にいつもよりちょっとだけゆっくり家に帰ってくるミュウを待ちたかったんだ。今年は――。