事故で視力を失った聴覚障害者が「指示に反応しない」からリハビリの対象外……というアセスメントの不思議

先日のアリゾナ州ツーソンでの乱射事件で頭を撃たれ
貫通する銃創を受けたギフォーズ議員の回復が注目を集める中、

CNNが
穿通性の重症頭部外傷を負った患者も
交通事故による頭部外傷の患者と同じように
濃密な24時間リハビリテーションによって
ほとんど完全に近い回復を示し社会復帰を果たす可能性を取り上げている。

ちょうどGiffords議員が手術のためテキサスの病院に移されたのと同じ頃に
NYのリハビリテーション病院を退院したのは

幼児期から耳が不自由な美術学生のEmilie Gossiauxさん。

去年10月8日に交通事故で脚、頭、恥骨を骨折すると同時に
脳卒中と頭部外傷を負った。

当初、家族は医師らから
Emilieさんは指示に反応しないし瞳孔も光に反応しないので
リハビリテーションの対象にならない、
ナーシング・ホームに入れなさいと
言われたが、

恋人のLundgardさんがインターネットで
サリバン先生がヘレン・ケラーに使った意思疎通方法を調べ
試しにEmilieさんの手のひらに指で I love you と書いてみると、
I love you, too. Thank you. と返事が返ってきた。

人工内耳を埋め込む手術を受けた後、
Emilieさんは、みるみる元の自分を取り戻して行った。

目が見えなくなったことからくる細かい課題は多数あったし、
脳卒中で右片マヒも、記憶障害もあるが、

歩けるようになり、医師からは学校に戻るよう勧められ、
次の作品の構想を練っている。

11月から入院で受けていたリハビリテーションを終了し、
1月末に退院した後は外来で視覚障害者へのセラピーも含めリハを続けるとのこと。

これから点字も習う予定だという。

Inside a brain injury recovery
CNN, January 24, 2011


この記事、本題は、ギフォーズ議員の病状を受けて、
穿痛性の重症頭部外傷にも社会復帰の可能性があるという話で、
特に記事の後半は理学、作業、聴覚言語の24時間リハビリテーションの効力について
論じられているのですが、

私はそれよりも、
交通事故による頭部外傷患者の回復事例として取り上げられているEmilieさんのケースで、
これは重大な示唆を含んでいる、見逃してはならない、と強く思うことがある。

それは、

当初の医師らの「リハビリテーションに値しない」との判断の根拠となった
「指示に反応しない」「光に反応しない」というアセスメントが
Emilieさんの意識状態をまったく反映していなかったという事実。

もともとEmilieさんは聴覚に障害があったのだから
医師らが「エミリーさん、分かりますか? 返事して」と呼びかけたって聞こえないし、
「はい。右手を上げてみて」と“指示”したって“反応”できるわけがない。

瞳孔が光に反応しなかったのだって、
脳に受けた損傷のために視覚を失っていたからに過ぎない。

意識がなくなっていたのではなく、
ただ、聞こえなかった、見えなかっただけ――。

手のひらに I love youと書いてくれれば
「私も愛しているわ。ありがとう」とちゃんと返事が返せる人のことを捕まえて
「リハビリの対象にならないほど脳損傷が酷い」とは、
なんという、お粗末な「医学的アセスメント」なのだろう。

これは私自身、重症児の親として、またAshley事件からも、いつも思うことだけれど、

単に「普通のやり方ではコミュニケーションが取れない」というだけのことに
医療は、あまりにも理解を欠いているのではないか。

そして、その無理解のために、
本当は意識に障害などないかもしれない人のことを
植物状態だとか最少意識状態だとか重症知的障害だと決めつけているのではないか。

そして、あろうことか、
どうせ植物状態だから、最少意識状態だから、重症障害者だから、と、
その命をも軽視していたりするのではないか――。

           ―――――――

何年も前のことですが、
作業療法ジャーナル」で連載シリーズを書いていた時、
ICUで急性期の作業療法という当時は画期的な試みをやっていたOTさんを取材し
とても貴重な話を聞いたことがあります。

この人は、ありとあらゆる手段で意思疎通の手段を探るというのですが、

医師が「植物状態です」と家族に告げた脳出血の患者さんを
発症から4日目に担当した、そのOTさんは、かすかにだけど、
その患者さんが足を動かしていることに気づくのです。

「私の言っていることが分かったら足を蹴ってみて」と声をかけてみたことから
その人はYes と No の意思疎通が可能になった、というのです。

つまり、意識はちゃんとあったわけですね。

その患者さんは、その後、主婦としての生活を取り戻したとのこと。驚くことに、
植物状態だと告げられた時に家族が自分の枕もとで会話した内容を鮮明に記憶しており、
その内容は家族に確認すると、事実の通りだったとのこと。


私がこのOTさんから聞いた話で、もうひとつ面白いと思ったのは、
自分は必ず健側(マヒしていない側)からアプローチするのに対して、
医師は必ず患側(マヒしている側)からアプローチする、という話。

「だって、例えば右耳が聞こえない人に話しかけるなら、
誰だって左から話しかけるじゃない?」と、彼女。

彼女がやってみているのは、例えば動く方の手に鉛筆を握らせてみる。
いわゆる「鉛筆握り」をすれば、それが鉛筆だと認識できていることになる。
パチンコが好きだった人には、パチンコの玉を握らせてみる。
いとおしそうに懐かしそうに握り込んだり、まさぐったりすると、それも認識できている証拠。
つまり今は何も表現できなくなっているとしても、意識はあるということが分かる。

そんなふうに動くところからアプローチして意思疎通の手段を探る彼女の意図は
病んだところをどうするかが医療の仕事だと考える医師には
(少なくとも当時は)なかなか通じないようだった。

彼女がマヒしていない方の手を動かしたりしていると、
医師から「キミ、そっちは動くんだよ」と注意されたりするんだそうな。

そして、
左耳が聞こえない人の、その左耳に「聞こえたら返事して」とささやきかけるようなアセスメントで
「返事しないから、この人は意識がない」と、Emilieさんは判断されていた……。

そのOTさんの話と、
私が07年からずっと主張している
「わかる」の証明不能は「わからない」ではない、という話は以下のエントリーに。



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