HCRの重症児の親による成長抑制支持論文にClaireさんが見事な反撃

Bill Peace氏と並んでAshley事件・成長抑制一般化に反対し続けている重症児の母親Claire Royさんが、
Hastings Center Reportに掲載された重症児の親2人の論文のうち、
成長抑制をやりたいとの立場で書かれたSandy Walkerさんの文章を取り上げ、

その問題点を指摘、見事に反駁しています。
この論文への反駁にとどまらず、見事な成長抑制批判になっています。

同じ町に住んでいたら、今すぐに駆けつけて
思いっきりハグしたいくらい。すばらしい!!

Friday, November 12, 2010
No More Ashley X’s: Say NO to Growth Attenuation


まず、Claireさんが指摘していることとして、Walker論文の主要なポイントは
娘Jesseicaさんの成長につれて、本人も家族もこれまで出来ていたことが、
あれもこれもできなくなった、介護もしにくくなった、という問題の羅列であること。

よく、まぁ、こんな甘っちょろいものがHCRの査読を通ったものだと呆れている。
(それを言えば、06年のG&D論文をはじめ擁護側の論文はみんなそうなんだけど)

以下、Claireさんの指摘。

① 介護がしにくくなった要因として、
膝の拘縮と不随意運動が出てきたことが挙げられている点について、
ちょっと待ってよ、それらの問題に成長抑制が対応するわけではないでしょ、と。

成長抑制の効果は成長を抑制することだけのはず、
成長抑制にあれもこれもの効果があるように言わず、
ちゃんと問題を整理しましょうね、と。

(私は厳密には「身長抑制」と言った方がいいと思うし、
その「身長抑制」の効果すら疑問視する医師や学者もいる)

② 次にClaireさんが疑問を投げかけるのは
Jessicaさんが前はできたのにできなくなったことの中に、
「立ったりテレビの前で踊ったり」が含まれていること。
Jessicaさんがそういう障害像なのだとしたら、
彼女はもともと成長抑制の対象にならないはずでは?

そういう障害像の娘をもつ母親がこういう論文を書いていることそのものが
“すべり坂”ではないのか、と。(鋭いぞ、Claireさん!)

③ Walker論文が「社会支援の必要が問題なのだと言って反対する人がいるが、
こういう状態の重症児と家族にとっては、どれほどの社会支援があったとしても助けにはならない。
そういう立場で反対する人たちは、ウチの娘のニーズも、Jessicaの安楽・健康を守り、
“退屈と孤絶”から救ってやりたい親の望みも分かっていない」と主張することに対して、

自分が以前住んだ町と現在住んでいる町にどれほど利用可能な施設があるかを
Claireさんは具体的にあげてみせる。

人口40万以下の町に、障害者にも利用可能なプールが最低1つ、
スヌーズレンの部屋が最低一つ、障害児を特に意識した子どもセンターもある、
利用可能なグランドに、こども美術館、良質な学校プログラム、
利用可能なバスも小型バスもある……などなど。

確かに障害児と家族が利用できる社会資源はまだ十分ではないかもしれないけれど、
いくらあってもJessicaを退屈と孤絶から救うことができないというのは全くの事実無根だ、と。

身体が大きくなって、かつてできたことができなくなるのは事実だけれど、
だからといって、それが即「退屈と孤絶」になるわけではないし、
逆に、成長抑制がそれら全ての問題を解決してくれるわけでもない。

(この次、本当にアッパレだから、拍手の準備してね)

そもそも、どの家庭にだって変化はやってくるものなのよ。
だいたい、障害がある子どもだからといって、
一生涯、同じことばっか、やって生きていきたいかしら?

④ Walkerが親の老いを介護が困難になる要因として挙げている点について

夫婦のどちらかが障害を負うことだってあるし、
離婚や経済的な破綻や、死ぬことだってあるのよ、と。
成長抑制を提唱する人たちは短期的な視野しかないし、
実際、障害児の将来については何も見ないふりをしているけれど
長期的に見れば、80歳の親にはどんなサイズの我が子だってケアできないでしょーが。

子どもを小さなサイズにフリーズしたからといって、時を止められるわけでもなければ
人生の想定外の出来事を阻止できるわけでもない。
私がケアできなくなった時に、誰がこの子の面倒を見てくれるのか、
その将来の問題は、変らずにそこにある。

だからこそ、やはり必要なのは社会サービスであり、
親は子どもの将来のために、そういうサービスの整った社会を作ろうとすべきでしょう。
どんな子どもであれ、成長抑制がその子に特定の将来を保証することなどありえません。

(そーだ、そーだ! このブログでも、その点をずうううううっと言ってきたんだ)

⑤ Walker論文が結論において、成長抑制を批判する障害者運動の人たちの発言は
自分たちのような考え方をする親や当事者は仲間として認めていない、
重症児とその親は疎外されているのだと感じた、傷ついた、と書いていることについて、

Claireさんは、障害者運動の当事者については、
一方で、自分も同じ感想を抱いていることを認めつつも、

また他方では、
これまで社会で障害者に行われてきたことの大きな歴史的な流れや
障害者の処遇に対する考え方の変遷などを振り返ると、
自分たち親には木しか見えないところで、
彼らには森が見えているのだと捉えるのです。

だから、重症児の人権が成長抑制で侵害されているとの彼らの声に、
今、耳を傾けないでいたら、親が自分でそれに気づくには、これから50年かかるわよ、と。

(なんて、ブラボーな発言だろう。なんて賢い人なんだろう)

⑥ Walkerには、成長抑制を社会という幅広い背景の中で眺める視点が欠けていて、
医療の範疇でしか見ることができていない、との指摘。

それは上記⑤での指摘と重なって、
Claireさん自身はそういう言葉を使っていないけれど、
「アンタは医学モデルでしか成長抑制を捉えていないけど、
そこは社会モデルで考えるべきでしょ」と言っているのだと思う。

最後に、これも、そういう言葉は使っていないけど、
「医学モデルしか見えていないアンタは、だからこそ
障害者アドボケイトから学ばないとダメなのよ」と
説教して終わっているのが、チョーおかしい。

Claire Royさんに、スタンディング・オベーションを――。