重症児の子宮摘出承認でダウン症協会前会長・上院議員が検察に行動を求める(豪)
今回の家庭裁判所の決定を「21世紀に理解不能」
「障害のない11歳の少女から子宮が摘出されたら、全てのオーストラリア人があきれ返るはず。
障害があるからと扱いを変えることは完全に差別的で非人間的」と。
「障害のない11歳の少女から子宮が摘出されたら、全てのオーストラリア人があきれ返るはず。
障害があるからと扱いを変えることは完全に差別的で非人間的」と。
ただ、主任検事のMcClelland氏は
「子どもが重大な医療を受けることに
強い懸念を持つ人が地域にいることは認識しているが、
決定は子どもの最善の利益に沿って行われるもの。
必要な事項を考慮し子どもの最善の利益を検討する権限は
家庭裁判所が与えられている」として
介入には消極的。
「子どもが重大な医療を受けることに
強い懸念を持つ人が地域にいることは認識しているが、
決定は子どもの最善の利益に沿って行われるもの。
必要な事項を考慮し子どもの最善の利益を検討する権限は
家庭裁判所が与えられている」として
介入には消極的。
1992年のMarion訴訟において
侵襲度の高い医療では裁判所の命令が必要で、
その際には家裁が子どもの最善の利益で、とした高裁の判断については、
侵襲度の高い医療では裁判所の命令が必要で、
その際には家裁が子どもの最善の利益で、とした高裁の判断については、
しかし「最善の利益」はどうにでもなる、との批判も。
家裁が「最善の利益」で決めた、といったって、
主任検事さんには、あの判決文を読んでからにしてほしいわ。
主任検事さんには、あの判決文を読んでからにしてほしいわ。
「権限のある判事の私が、親と医師の言うとおりだと思ったから
それ以上の検討は無用。はい。判事として認めます」
それ以上の検討は無用。はい。判事として認めます」
それだけですよ。あの判決内容は。
それから、この事件の関連ニュースを何本か読んで、とても気になるのは、
障害のある子どもの要介護状態を表現する際にメディアが、いちいち
「食べさせてもらわなければならない」
「歩行器にストラップで固定してもらわなければならない」
「乗り移る際には誰かにサポートしてもらわなければならない」など
「・・・・・・してもらわなければならない」という表現を使うようになっていること。
障害のある子どもの要介護状態を表現する際にメディアが、いちいち
「食べさせてもらわなければならない」
「歩行器にストラップで固定してもらわなければならない」
「乗り移る際には誰かにサポートしてもらわなければならない」など
「・・・・・・してもらわなければならない」という表現を使うようになっていること。
【関連エントリー】
豪で11歳重症児の子宮摘出、裁判所が認める(2010/3/10)
Angela事件(豪):事実関係の整理(2010/3/10)
Angela事件の判決文を読む 1(2010/3/11)
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