「国際水準の移植医療ですでに起こっていること」を書きました

「国際的水準の移植医療」ですでに起こっていること

7月の国会で脳死臓器移植法の改正が決まった。最も大きな改正となるA案を支持してきた移植医療の専門家や患者団体からは「これで日本でも国際水準の移植医療が実現される」と喜ぶ声がしきりだった。

しかし、ここ数年、海外の医療ニュースを追いかけてきた私は「本当に実現させるの……?」と、むしろ背筋が冷える思いがした。それまでの議論でも「国際水準に追いつくために」との掛け声を聞くたびに首をかしげたのだけれど、その「国際水準の移植医療」で実際に起こっている諸々が、なぜ日本では、ちっとも報道されないのだろう。いくつかの事件と議論を簡単にまとめて、「国際水準の移植医療」ですでに起こっていることの一端を提示してみたい。

◎ナヴァロ事件
2006年、米国カリフォルニア州で起きた事件。重症の心身障害があり施設で暮らしていたルーベン・ナヴァロさん(25)の呼吸が止まり、病院に搬送された。脳死には至っていなかったにもかかわらず、母親から臓器提供の同意を取り付けた医師らは、臓器移植ネットワークから臓器保存チームを呼び、ナヴァロさんの呼吸器を外した。ところが予想に反して彼は死なない。臓器が使えなくなると焦った医師らは救命治療よりも臓器の保存処置を優先し、患者本人には有害となる薬剤を多量に投与する。結局ナヴァロさんは翌日まで生き、臓器は摘出されなかった。

一部始終を目撃した看護師が警察に通報。しかし逮捕された医師は、裁判で“心臓死後提供(DCD)”という新方式を用いたのだと主張し、無罪となった。

DCDとは、脳死に至っていない患者の呼吸器を外して心臓死を起こさせ、数分だけ待って摘出するプロトコルである。臓器不足解消の方途として米国で広がり始めている。通常、最後の拍動から2~5分で、もはや蘇生がありえない“ポイント・オブ・ノーリターン”とされるが、去年、デンバー子ども病院の医師らは論文を発表し、心臓の機能不全による死亡宣告がされた乳幼児から75秒だけ待って心臓摘出するプロトコルを報告。「両親が蘇生を望まない以上、その子どもの心臓は死んだのだ」と書いた。

◎ケイリー事件
今年4月、カナダのトロント子ども病院で、ジュベール症候群のケイリー・ウォレスちゃん(生後2ヶ月)の心臓が、同じ病院に入院中の心臓病の女児に移植されることが決まった。父親同士が病院で知り合って合意したという。メディアや世論がケイリーちゃんの父親をヒーローに祭り上げる中、家族がベッドサイドに集まってお別れをし、呼吸器が取り外された。しかしケイリーちゃんは自力で呼吸し続けた。

父親は「助かっても障害のためQOLが低いと、医師がそればかりを強調するので、それなら人のためになる死に方をさせてやりたかった。でも心臓を採れないとなると、医師は当初の診断が間違いだったと言い、今になって治療の選択肢を並べてみせる……」と困惑した。公表された写真では、ケイリーちゃんは開眼し、意識も清明であるように見える。

◎死亡者提供ルール見直しの声
これらの事件に見られるように米国・カナダでは脳死提供ルールが揺らいでいる。脳死概念は間違いで、脳死者は死んでいないと明言する生命倫理学者もいる。しかし、彼らは「だから脳死者からの臓器提供はやめよう」というわけではない。「我々は既に人為的に死を操作しているのだから、本人の提供意思さえあれば、生きている人間からも心臓などの臓器提供を認めよう」と主張するのだ。“深刻な臓器不足”解消のために──。

欧米で認められている“救済者兄弟”

着床前遺伝子診断と生殖補助技術を用いて、病気の子どもの治療ために臓器ドナーとして適合する胚を選別し、弟や妹を生むことが、英・米・仏・スウェーデンなどで認められている。英語ではsavior sibling“救済者兄弟”と呼ばれる。

生まれてくる子どもが、その生い立ちのために自分は兄や姉ほど愛されていないとの思いに苦しむ弊害も指摘されているが、米国では概ね生命倫理学者らが説く「家族全体の利益は、その子どもの利益でもある」との論理で正当化される。英国医師会は“救済者兄弟”の心理的負担を「仮想的な害」とし、病気の子どもの苦しみや死の可能性を「リアルな害」として対置させて、正当化している。

介護保険情報」2009年11月号
「世界の介護と医療の情報を読む 41」
児玉真美 p.81


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