Norman Fostが「ヒト対象実験の無意味な規制と手続きやめろ」

当ブログが Ashley事件においても、また米国の特に急進的な生命倫理の論客としても
要注意人物として注目してきたWisconsin大学の Norman Fost 医師が

Yale大のRobert J. Levine 医師との共著でJAMAに発表した論文で

ヒトを対象とした実験研究に対する規制が強すぎて、
手続きが無意味に煩雑となり、研究を阻害している、と主張しているようです。


実はこの2人、2007年に
JAMAに医療プライバシー法が疫学研究の邪魔だとする論文が掲載された際にも
連名で賛同の論説を書き、

Office of Human Research ProtectionとFDAが些細な揚げ足を取ってはペナルティを課すから
研究機関が萎縮して研究が滞るのだ、と現制度の見直しを主張していました。

The Dysregulation of Human Subjects Research
Norman Fost, MD, MPH; Robert J. Levin, MD
JAMA. 2007; 298(18):2196-2198

(詳細は、こちらのエントリーに)


その2人が今度は自分たちで同じ趣旨の論文を書いたわけですが、
今回、2人の論文を後押しするのは、こちらのNY Timesのエッセイ。

Clinical Trials, Wrapped in Red Tape
By Sally Satel
The NY Times, August 8, 2009

大まかな趣旨は、

院内感染を防ぐ方策の実験研究で、
手を洗うとか患者の清拭程度のことを調べるだけなのに
被験者全員にICを行って書類にサインをもらうような無駄な労力を求められる。

研究が大きなものになればなるほど複数の研究機関が関与するため、
それぞれの倫理審査会の承認を取り付ける手間と時間が無駄にかかる、
そのための費用こそバカにならない。

それらの手続きの煩雑さが scientific productivity (科学の生産性)を落としている。

これでは、せっかくオバマ政権の経済刺激策の一貫で82億ドルも増額された
NIHの科学研究のグラントも生かせない。

こういうことだから政府の委員会を避けて、
研究者はコストも時間もそれほどかからない民間の審査会の承認を取り付ける方を選ぶのだ。

その結果、スタンダードがいいかげんになって、

政府のアカウンタビリティ局(GAO)が
偽の医療糊の実験審査を民間審査委員会に委託したら、
あっさりと通ってしまったというバカなことも起こる。

こんな規制は、そもそもの
医学研究の利益はコストを上回るべきだとする倫理基準を満たしていないではないか。



「医療研究の利益はコストを上回ることが倫理基準」ったって……

それは、もともと被験者となる患者にとっての利益とコストのことであって、
最初から、研究者にとっての利益とコストの話ではないでしょうに、
まったく、むちゃくちゃな屁理屈を持ち出してくるものです。


それにFost&Levin論文のアブストラクトでも、Satel氏のエッセイでも、
だから、どうしろと言っているのかは見えてきません。

たぶん、どちらも、意味がないから規制を緩めて、
もっと科学研究の生産性をあげろと言いたいのでしょう。

しかし、治験の倫理審査を民間の企業が請け負っているという驚くべき事実も含め、
最新医療の研究で被験者保護がきちんと行われていない実態は
当ブログが拾った遺伝子治療の実験で被験者が死亡した2007年の事件でも指摘されていました。


Sally Satelという人は精神科医
The American Enterprise Institute という研究所の研究者。
どうやら腎臓提供を有償化しようというプロジェクトに関わっている人のようです。

Fostが小児の臨床実験について
それなりの報酬さえ出せば、少々のリスクがあったって被験者にしていい
主張していることを思わせます。

またFostの説く「無益な治療」論
治療の無益ではなく、患者個々が社会にとってどれだけ有益かという
患者の無益論に摩り替わっていることや、

医療の専門性を押し立てて、
裁判所など無視しろと強硬に説いていることを考え合わせると、

科学の生産性は被験者保護よりも優先されるべきだというのが
Fostのホンネなのではないでしょうか。

もしかしたら、科学とテクノは
法の束縛から自由になろうとするだけでは足りず、
一切の縛りを拒絶しようとしている──?