祈りで治そうと糖尿病の娘死なせた母親の裁判始まる:Fostがコメント


11歳の娘 Kara Neumannの糖尿病が悪化しているにもかかわらず祈りによって治そうと
医師に診せずに死なせてしまった母親の裁判の準備が14日に始まった。

事件が起きたのはWisconsin州。

Faith Healing Court Cases
Religion & Ethics, May 15, 2009


この中で驚くのは
Oregon州Portland郊外に小さな墓地があり、そこには
祈りの力で病気を治せると信じる教会the Followers of Christ の信者の子ども
少なくとも75人が埋葬されている、という事実。

Wisconsin大学の宗教学者Shawn Peters教授の話では
Oregon州法には1999年まで、
祈りで治そうとする行為に除外規定があったため、
ここに埋葬された子どもたちの親はいずれも罪に問われていない。

こうした悲劇は米国のメインストリーズから外れたところで隠れたままになっており、
表に出るのは実は氷山の一角だろう、とPeters教授。

「問題を厄介にしているのは親が子どものために最善と信じることをやっている点」と。

Oregon州は1999年に除外規定をはずしたが、
今でもWisconsinを含む30の州には残っている。

今回、そのWisconsin州で
検察はKaraの両親の起訴(過失致死容疑)に踏み切ったわけだが、
そこで介入してきたのがChristian Science 教会

同教会は除外規定を含む最初の州法を書いた経緯もあり、
Neumann事件を機に、医療と信仰のバランスをとり子どもが守られるべく
新たな法規制を提案するという。

こういう教会が法文を書いたとか、
今回も親の逮捕で出張ってきて妥協案を云々している……みたいな話になると、

進化論を教えるな、インテリジェントデザインも教えろ、という
日本人にとっては冗談としか思えないような論争が
不気味なリアリティをもって思い返される。

そういう文化が今だに根強い国で、
遺伝子を調べて、病気予防だといって健康な内臓を取ってしまうような
科学とテクノロジーで何でも簡単解決文化が共存しているって、なんだか、ものすごく気色が悪い。


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ところでWisconsin州で医療倫理がらみの事件となると必ず登場するのが、
Ashley事件の陰の立役者ではないかと当ブログで考えているNorman Fost教授。
Wisconsin大学の小児科医であり生命倫理学者。

この記事でもインタビューを受けています。
(上記リンクにビデオも)

ちなみに、世界で初めてヒト胚からES細胞を作り出したThompson教授に
ES細胞研究への倫理的なためらいを吹っ切らせたのが、このDr. Fost

この事件に関するインタビューでFostが言っているのは概ね、

「糖尿病の子どもの大半は適切な医療を受ければ
ほぼ通常の生活が可能になるので、
Karaさんも死ななくても済んだ可能性がある。

Karaさんの両親が有罪になったとしても、
自分としては懲役の必要まではないと思う。

ただ、親を刑事罰に問うことによって
『州の子どもを守ろうとしている』州の姿勢を示すことができる」

これだけだと至極まっとうに聞こえるのですが、
この同じ人物が米国で最も急進的なステロイド解禁論者で
「リスクがないわけじゃないとしても、自分の体なのだから
自己選択・自己責任でやりたいなら、やらせればいいじゃないか。
リスクを言うなら、フットボールやボクシング自体がもともと危険」と
なんとも乱暴な論理を振りかざし、

(ただし自分は頭痛薬すら極力飲まないようにしている)

Ashley事件では知的障害者への嫌悪感を露わに
「障害児の医療では親の選択権がすべて」と主張。

そして米国小児科医療倫理業界の大ボスとして、
重症障害児の命そのものを無益と呼ばわり、
重症障害児には裁判所など無視して「無益な治療」概念を適用せよと
小児科医相手に説く。

この件について
司法の介入によって州が「州の子どもを守る」姿勢を示せるのだと言うのは、
障害児への「無益な治療」では司法を無視せよと説くこととも、
障害児の体に医療で手を加えるのは「親の決定権が全て」との主張とも
矛盾しているのではないのか。

結局、Fostが言っていることは
「科学とテクノロジーの論理にかなう限りにおいて、
子どもの医療は親の決定権だし
自分の体も自己選択・自己責任」
という意味でのみ一貫性を持つのでは──?