ウィル・スミス「7つの贈り物」を見てしまった

春休みに入って最初の水曜日なので、
日ごろ利用できない映画館のレディスデイに出かけようというのも
今回は「おくりびと」を見ようというのも
個人的には前から決めていたことだったのに、

おくりびと」がアカデミー賞をとってしまったものだから
行ってみたら、ものすごい人がホールにあふれて入れ替えを待っていた。

田舎の小さな映画館のこととて、
他の選択肢は「7つの贈り物」のみ。

交通事故で7人を死なせてしまった罪の意識に苦しむ主人公が
思いつめた挙げ句に、選びぬいた7人に「7つの贈り物」を考える……というのだから
「こういう話なんだろうなぁ……」と容易に想像がつくというもので、
ちょっと抵抗を覚える映画だったのだけど、

こんなに賑わっている中で「おくりびと」……という気分でもなく、
つい閑散としている方を選んでしまった。

(改めて考えてみたら「おくりびと」の裏番組が「7つの贈り物」だったというのも
 皮肉と言うか、示唆に富んでいるというか……)

──見なけりゃよかったよ。

ここから後、ネタバレを含みますので、
既に見られた方または全く見るつもりのない方のみ、どうぞ。







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お話は、まったくの予想通り。
なんの「ひねり」も「ねじり」も「どんでん返し」もなく、まんま。

出口で目に付いたチラシを持って帰ったのだけど、
ウラに著名人の感想がずらっと並んでいて、

例えば、

服飾デザイナーの朝月真次郎氏
日本人が失いかけている美徳を再認識させてくれる
とてもとても素晴らしい作品
特に日本の政治家の先生方は必見」。

(どこかの協会と繋がりでも?)

医療ジャーナリスト、和田努氏の
「壮大な愛の物語であるのはもちろん、
神なき時代に神の痕跡を見る思いだ」。

(何を言いたい──?)

精神科医香山リカ
「こうまでしないと人は自分を許せないものか
衝撃と感動で目がくらんだ」

同じく精神科医名越康文
「私はこの作品を賛成や反対ではなく
沈黙を持って迎え入れたいと思う
畏れと共感を伴った沈黙を持って」

(仮にも精神科医なら、目をくらませたり共感してなんかいないで、
この人は鬱病です。どこかの段階でいずれかの医師が気付いて
彼を精神科に紹介すべきでした」とコメントすべきでは?)

だいたい臓器提供を申し出る人の健康状態だって調べないわけじゃなし、

こんなに傷だらけ・欠けたものだらけの体から
さらに臓器を摘出しようなんて医師はいないと思うし、
いたら、それこそヒポクラテスの誓いに反すると思うのですが、
それとも、それもまた「自己選択」だということになるのかしらん。

そもそも、クラゲの猛毒で死んだ人の心臓が
その直後に摘出・移植できるものなのか?

いや、それ以前に、
片肺と肝臓の一部と腎臓が既に摘出されているような身体で
さらに骨髄提供に耐えられるのか。

そんな身体を支えていた心臓が、果たして良好な状態であるものか。

でも、この映画が伝えるメッセージは、
きっとそんな現実問題とは無関係に、

一人の人間には
利用可能な臓器をみんな提供することによって何人もの命を救うことができる――。


この前「笑っていいとも」に出てきたウィル・スミス自身は
「自分が共感できない主人公を演じたのは初めてだった」といっていたけど、

自殺幇助の合法化法案があっちでもこっちでも議会に提出され、
莫大な資金が合法化に向けて活動する団体に流れ込んでいる、
同時に「臓器が不足している」と散々喧伝される、こんなご時勢に、
こんな映画が作られるということ、

むしろ、こんなご時勢だからこそ作られているのだ……ということ、

そして日本でも
著名人がこうして賛美してみせること……そのことごとくに背筋が冷える。

映画評論家、北川れいこ氏は、
言うに事欠いて「究極の“献身愛”」

SCREEN副編集長、近藤邦彦氏も
「苦しく辛くて絶望してあきらめていた時に
もし手を差し伸べてくれる人がいたら、それは間違いなく
最高の贈り物だろう」

もしも罪を償う行為として賛美するならば、
中国で死刑囚から臓器が摘出されていた事実と合わせて
もう一度考えてみてもらいたい。

ただ1人、弁護士の石渡真維氏だけが
「主人公の行為は日本では
社会的に許される行為でしょうか」

だいたい、
自分の臓器に値するだけ「いい人」かどうかを確かめて歩く……なんて、
それは一体なんという傲慢であることか。

そういえば、弟が主人公に向かって言うセリフがあったな。

人の人生を勝手にいじったりしてはいけないんだ──。