救急スタッフは無意識に高齢者の外傷搬送を手控えている?

Archives of Surgery の8月号に掲載された論文で、
救急搬送スタッフは高齢の外傷患者を若い患者ほど外傷センターに搬送していない
という調査結果が報告されています。

無意識のうちに高齢患者に対して、どうせ治療しても無益だという偏見が
あるのではないか、と。

外傷センター内部では高齢者治療のプロトコルなども研究されてきているのに、
搬送段階で年齢についての偏見があればそれが生かされないことになる、
高齢者でも治療によって生産的な生活に復帰することは可能だとの文献を紹介するなど、
社会全体で高齢者に対する偏見を打ち消す努力が必要、と。

Possible Age Bias Among Emergency Medical Personnel
The Medical News Today, August 20, 2008


読んだ時にすぐに頭に浮かんだのは、
きっと重度障害者について調査しても同じような結果が出るんじゃないのかなぁ……と。

(日本でも個人的に、娘が腸ねん転で手術を受けた際に、
健常な人には行われるはずの治療を外科医の偏見から手控えられた経験があるので。)

救急医療の内部では高齢者に応じた治療のあり方が研究されていたり、
またこのような調査が行われていることそのものも、
そうしたエイジズムへの修正の動きであって、喜ばしいことなのですが、

「高齢者でも治療すれば生産的な生活に復帰できるという文献を紹介して啓発に」という下りの
「生産的な生活」というところが引っかかる。

ここにある感覚すらが無意識のうちに
「生産的な生活に復帰できること」を「救命コストに見合う対価」として求めているような、
これを裏返すと、「どうせ助けても生産的な生活に戻れないなら治療は無益」と
いうことにもなりかねないような。

もちろん「生産的」という言葉の定義にも幅がいろいろあるとは思うのですが、

一方に、重度障害者を巡って米国で「あやうく第2のシャイボ事件」という出来事が
続いていること、
(詳細は「無益な治療」の書庫に)

そこには栄養と水分の供給すら
「どうせ回復しないなら無益」と中止してしまいたいらしい誰かの思惑が
チラチラしていること、

その背後にあるのは医療費削減というもっと大きな思惑であり
それを使命として背負った
「社会全体が背負うコストと個人の利益のバランス」論であることを思えば、

そのうち平常時でもトリアージを受けて
年齢と全身状態と治療にかかるコスト予測から、
「この人は治療すれば生産的な生活に復帰できるかどうか」
「その後のこの人の生産性の予測は、社会が引き受ける治療コストに見合っているか」と
判定を経なければ治療が受けられない日が来るのかも……?


         ――――――

そうして現在、真っ先に切り捨てられようとしている重症障害者にかかっている医療費は
全体からすれば ごくわずかなものだという指摘
医療費を押し上げている元凶は実は保険会社・製薬会社だとの指摘
随所でされていながら大きく取り上げられることがないままに、

医療費が嵩んで医療制度が崩壊しつつあると危機感を煽り、
状況を一気に短絡した「非常事態」だと演出してしまえば、
「限られた資源を最も効率的に分配するため」のトリアージ
「当たり前」だし「止むを得ない」と受け入れる社会の空気は
実は既に作られようとしている気がするし、

現に、ゲイツ財団から膨大な資金を受けて設立されたワシントン大学のIHMEは、
世界規模でそうした価値観による保健医療の変容を進めていこうとしているのだから。
(詳細は「ゲイツ財団とUW・IHME」の書庫に)