親の知らない娘の知り合い

ずっと昔。娘が養護学校の小学部に入ってしばらくしてからのこと。

場所がどこだったか記憶が曖昧なのだけど、
娘の車椅子を押して歩いていたら
どこかで「あらぁ、ミュウちゃん!」と大きな声が上がって、
見たことのない女性が駆け寄ってくるなり
車椅子の前にしゃがみこんだ。

「こんなところで会うなんてねぇ。
 どうしてた? 元気そうじゃない」

ニコニコしながら娘の手をとり、
しゃがんだまま、あれこれと話しかける。
娘の方もニコニコ応じている。

そのうち私に気がついて「あ、お母さんですよね……」と立ち上がったところで、
その人はもともと急いでいた途中でもあったらしくて、
誰かに呼び立てられ急かされて、そのまま行ってしまった。

ほんの数分間の出来事で
こっちも、つい会釈だけで見送ってしまった。

たいていのオトナは親の方にまず話しかける。
どうかすると学校の先生の中にも
娘がそばにいても親とだけ話をして去って行く人がいる。

いきなり娘に声をかけ、直接話しかけて、
親とはロクに言葉も交わさずに去っていった人というのは初めてだった。

その人が娘にどう接してくれているかが、それだけで伝わってくる。
束の間の出来事がさわやかに心に残った。

「あの人、学校の先生?」
「それとも、ボランティアさんとか?」
歩き出しながら、車椅子の後ろから聞いてみる。
娘は今はヘラヘラするのみ。

そのヘラヘラを見ながら
母はじわぁっと楽しくなってきた。

「そうかぁ、お母さんの知らないミュウの知り合いかぁ……」

それまでの通園施設では規模も小さいし、
先生方の数もボランティアの人も限られていた。
親が送り迎えしたり、しょっちゅう園にも出かけて
娘の世界の登場人物は、親が把握できる範囲だった。
それで、娘の世界は母親の世界の片隅にすっぽり納まっているものと
私は勝手に思い込んでいたものらしい。

全介助の子どもだから、寝たきりで言葉がないから、と
無意識のうちに親が勝手にそう思い込んでいた。

なんて親って傲慢なんだろう。

娘の方は親と離れて過ごす親の知らない世界をちゃんと持っていて、
そこで親の知らない経験をし、いろんな人と出会って、
親の知らない人間関係をしっかり持っている――。

親の世界の範囲内に小さな世界を与えられているわけじゃない。
親の世界をはみ出して、自分の世界を広げている。
いいじゃないか。それ――。

やるじゃないか、ウチの子。

      ――――――――――


「生後6ヶ月のメンタルレベルのAshleyに必要なのは
家族という小さな世界」

Diekema医師の言葉を読んだ時、
すぐに頭に浮かんだのは、この時のことだった。

重症児は家族以外には愛されることなどありえないとの前提に立ち、
家族との狭い世界で生きていけばそれが本人の幸福だと考える人に
障害児の医療や福祉を云々する資格があるのか……と、それからずっと思っている。