死にたい人は個別に裁判所へ?(豪)

Dominic Lawsonがダウン症児を産んだことを利己的な行為だと批判したClaire Raynerは2000年に
オーストラリアの科学展に注射器とパソコンを繋いだ自殺装置が出展されて議論になった際に
「あなたに言わせれば殺人、私に言わせれば安楽死」という記事で
「死ぬ権利」議論に解決策を提言していました。

You say murder, I say euthanasia
by Claire Rayner
New Statesman, June 19, 2000


彼女の提案は、
積極的な安楽死を求める人はいずれにしても少数なのだから
極限状態にある人には個々に裁判所の判断を仰げる制度を作ったらどうか、というもの。

裁判所に法律と医療の専門家と素人のチームを作り、
緩和ケアが充分に行われてきたかどうか
精神障害の故の自殺念慮ではないか
家族や周囲の意を受けたり、周囲に遠慮しての自殺希望ではないか
などを充分に確かめた上で、裁判所が認めてはどうか、と。


いきなり、この提案だけを目の前に突きつけられると、
なるほど納得してしまいそうなのですが、

これは”Ashley療法”論争でのDiekema医師の「最善の利益」論と同じで、

「これは条件によっては認めてもよいことなのかどうか」という
まず前提段階で丁寧に行われるべき倫理上の議論がすっ飛ばされて、
いきなり「認めてもよい条件」を議論しようとするもの。

本質的な倫理上の議論よりも前に既成事実を認めてしまうという点で、
やはり1つのマヤカシではないでしょうか。

しかも、ダウン症の子どもを生むことについて、
「社会のコスト」を云々した人からの提案であることを思えば、なおのこと。