「障害」は「病気」ではないということ

この1年余りAshley事件を調べてきて、
また、ここしばらく尊厳死や無益な治療を巡ってわずかに読みかじる中で、

とても強く思うのは、
生命倫理の議論はもっと言葉を厳密に使うべきではないのか、ということ。

その中の1つとして、
「障害」は「病気」ではないのだという事実を
みんな一度しっかり再確認しましょうよ、と。

Ashley事件で言えば、
static encephalopathyという彼女の“診断名”ですが、
これは「脳に損傷がある状態」を “診断”しているだけであって「病名」ではありません。

Anne McDonaldさんが主張している通り、要するに「脳性まひ」と同じことなのですが、
「脳性まひ」もまた「脳に受けた損傷が原因で麻痺が起きている状態」という意味に過ぎず、
やはり「病名」ではありません。

「障害がある」=「健康ではない」ではなく、
「障害がある」=「病気である」でもなく、
障害があるという状態のまま健康だという人は沢山いるのです。

無益な治療や尊厳死を巡る議論の中で
terminally ill (末期の病気)という表現が使われる際に
病気でもなければ末期でもない、ただ障害が重いというだけの人が
その範疇にいつのまにか紛れ込んでしまっているのを見るたびに、
病気と障害の区別がついていないよなぁ、
それとも敢えて混同して語っているのかなぁ、
と考えてしまう。

Golubchuk氏の無益な治療論争についてのPeter Singerの発言を読むと、
「自己決定できる人の病気の末期」と
「自己決定が難しい人の病気の末期」が
きちんと区別した上で議論されていないという疑問をまずは感じるのですが、

同時に「重度の障害」と「末期の病気」の区別も付いていない。

そして、これらが都合よく混同されたまま
読者を極端な結論に向かって誘導していると思う。

このような議論をする側にもそれを受け止める側にも
障害は病気ではないのだという事実認識
したがってどんなに重い障害があっても
病気でなければ末期ではありえないのだという事実認識
きちんと共有されているべきではないでしょうか。

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また、NY Times のコラムのように、
Irreversibly ill (不可逆的な病気、不治の病)という表現が
terminally ill (末期の病気)とほとんど同じように使われて
尊厳死が云々されてしまうことも非常に気になります。

「不可逆的な病気」=「末期」ではないことはもちろんですが、
「不可逆的な病気」、「治らない病気」という曖昧な表現は
どれだけ広範な病気を指すことになるか分かりません。

さらに、
障害は「状態」である以上、多くの場合において「不治」ですから、
ここで「障害は病気ではない」という事実がちゃんと確認されていないと
障害の多くが「不可逆な病気」に含まれてしまったまま議論が行われる
ということも起こり得るのです。

この2つの表現は決して混同されてはならないと思うのですが、

生命倫理の議論では過激な発言であればあるほど
言葉の使い方に厳密さがなく抽象的かつ曖昧でイメージ先行、
その曖昧さの陰でなし崩し的に
対象のズラしや拡大が行われているのではないかと、
懸念されてなりません。