重症児の娘殺したLatimer「裁判所は正直に」と

先月末に保釈されたRobert Latimerが
2010年12月8日に完全釈放となるまで
day paroleの期間を過ごすハーフウエイ・ハウスに3月17日に入ったのですが、
その際オタワの空港でメディアのインタビューを受け、いろいろしゃべっています。

Latimer wants new jury trial
Leader-Post, March 18, 2008

あれこれ言っているのですが、
具体的な発言について興味のある人は上記の記事を当たってもらうとして、
彼が言いたがっているらしいことは、要は

これまでの裁判は自分が娘を殺したかどうかという事実認定をしただけで、
それなら殺したのは事実だから殺人罪で懲役の実刑になったのもよしとするが、
自分が娘を殺したことが正しかったか間違っていたかの判断はまだついていない。

新たな陪審員によって裁判をやり直し、
自分が娘を殺したことが正しかったかどうかについて裁判所は正直に答えるべきだろう。

世論は重症障害の苦しみから娘を解放した自分の行為を支持してくれているし、
世論も自分たち親子のような状況には正直に向かい合えと求めている。

事実認定によって有罪となったのだから
重症障害があっても殺した行為は殺人以外のなんでもなく、
したがって彼が娘を殺したことは正しくなかったとの判断が下されたのだ、
とは考えられないのでしょうか。

Latimerが何度も「正直に」と繰り返していることが印象的です。
裁判所だってホンネでは正しいことだと思っているのに認めないだけだと
彼はおそらく考えているのでしょう。

もう1つ印象的なのは
自分が個人的に激励のメッセージを多数受け取っていることを根拠に
世論は自分を支持していると正当化する感覚。
Latimerは
「ここにくる機中でも自分がLatimerだと分かったら
自宅に招待してくれる人だっていたぞ」と
世間の人々から支持されている自分を強調するのですが、

そのあたり、
「私のブログに寄せられる賛同のメッセージを見てみろ」と胸を張る
Ashleyの父親に似て、なんだか小児的だなぁ……と。


Latimer事件に関する、これまでのエントリー。