カナダの「無益な治療」ケース裁判官の言

前のエントリーでとりあげたGolubchuk氏の「不毛な治療」ケースで
きちんとした裁判で判断が下されるまで生命維持装置をはずしてはならないと
禁止命令を出した裁判官がその理由を述べた言葉が目に付きました。


この禁止命令によってGolubchuk氏には
本人の法律、宗教、人権における立場が充分に主張される機会が与えられる

(注)人権と仮に訳してみた箇所、原語は charter position です。

修正することのできない害と便宜とのバランスという問題について
それなりに知識のある国民なら大半が私の判断を支持してくれると思う


Ashley事件を含め、
世界中でいろいろ起こっている生命倫理がらみの事例を考えると
この裁判官の発言の含蓄は重い……と思う。



(Winnipeg Free Press の同日の記事を転載したもの)


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不可逆的で過激な医療の判断を巡っては
決定までのプロセスにおいて
自分で意思表示や意思決定ができにくい人の権利擁護は
しっかり保障されてほしいと思うし、

そのためにも
FostParisがシアトル子ども病院生命倫理カンファで主張しているような
司法を軽視する医療の動きには警戒すべきじゃないかと思う。

日本でも
「そんなことを言っていたら医師になり手がいなくなる」などの口実で
医療を司法の治外法権化しようとする動きがあるように感じるのですが、

医師不足の問題と、医療過誤や医療不信とは別問題であって、
そこはきちんと整理して議論しなければ、
結局「診てもらえるだけで感謝しろ」ということに落ちていくのではないでしょうか。