ShakespeareのAshley療法批判(1月 Ouch!)

“Ashley療法”の成長抑制部分を皮肉って
shrink(縮める)という表現を使った批判には、
前のエントリーで紹介したSaletanの他にも、
BBCの障害者問題ブログ Ouch!に
同サイト・コラムニストのTom Shakespeareが書いた文章があります。
 
Saletanが
「”介護の便宜”や”病気予防”が正当化としてアリなら、高齢者にも同じ理屈が通るじゃないか」
と批判したのと同じように、

Shakespeareは「他の障害児・者や一般の人にも当てはまるではないか」と批判しています。

例えば、
歯軋りがうるさい人からは奥歯を抜けばいいし、

多動の子どもには、頭にスイッチを仕込んで
手に負えなくなったらスイッチでちょっと静かになってもらう。
そうすれば家族みんながテレビの前で静かな夜を過ごせるわけだし。

よだれも見た目が悪いし服が汚れるから、
バイオ工学でちょちょっと手を加えてカテーテルを通し、
お口の余分な水分は涎バッグへ。

やっかいでデカくて周りの迷惑になる障害児たちにしてやれることは、まだまだ沢山ある。我々にはそれだけの技術があるのだし。それが親の利益になれば、当然子どもの利益にもなるというわけ、だよね? だって、考えてごらんよ。親が世話をしやすければ、子どもだってハッピーで満ち足りているはずだ。こういう解決策があれば、子育ての悩みなんてなくなって、子どもの世話をするたびに感じるのは喜びだけさ! それに、いまさら外見が人間の価値を決めるなんて信じる人はいないよね? だから成長を抑制して外見が大人にならないようにしたからって、中身の人間を変えることにはならない。

しかし同時に我々は他の選択肢があることも知っている。違いに対して、もっと許容もできるはずだ。もっとアクセスの容易な住宅を提供し、予算をつけてパーソナル・アシスタンス制度を整え、障害者が地域で暮らせるように在宅ケアのサービスを保証する。しかし、それはコストがかかることだ。それに、投資として面白くもないんだろうね。福祉にお金をつぎ込むというのはね。

Shakespeareは最後に、
Ashleyに行われた医療処置については
組織内倫理委員会で関連事項のすべてを慎重に議論し、
生命倫理の4つの原則を適用するという
「正しいプロセスと手続きthe right processes and procedures」を
経て決められたことに注意を促し、暗に警告を発しています。

彼はここで、
そうしたプロセスが正当化にも使われ得る社会の欺瞞を
警戒しているのだろうと思われますが、

もう少し丁寧に原資料を読み込めば、
実は「関連事項のすべて」など議論されていないし、
生命倫理の原則など適用もされていない
この事件固有の欺瞞についても
見抜けたのではなかったろうか……と残念。

他にもShakespeare
あの論理性というものがとことん欠落した論文について、
「担当医らの論理には非の打ち所がない」と(皮肉だとしても)書いており、
いったい、どれほど丁寧に読んだのだろうか、とちょっと疑問です。

「中身に相応したサイズ」論の倒錯を指摘する部分でも、
サイズが相応でなくたって当人には気にならないはずだと主張する際に
「でも、いいかい。Ashleyはどっちにしたって自己意識は欠いたままなのだ」
と書き、Peter Singerと同じ誤りを犯しています。


Ashley事件を論じる多くの人の中には、
Ashleyの両親のブログが長大なためか、
ざっと目を通す程度で済ませてしまう人が案外に多いようですが、

せめて最も重要な資料である担当医論文と親のブログの2つだけはまともに読み、
基本的な事実関係くらいはきちんと押さえてほしい。

           ---


それにつけても、
今度は自国でKatieのケースが起こり、
それについては BBC も報じているというのに、
Shakespeare は反応していない……。なんで?

【2010年7月1日追記】
これは私のうっかりミスで、ShakespeareのOUCH!での論考は
2006年11月に、Gunther&Diekema論文を受けて書かれたものでした。


            ---


ちなみに、当ブログでまとめたAshley事件の事実関係は
「事実関係の整理」の書庫にあります。