輸血拒否の男児死亡(シアトル子ども病院)

シアトル子ども病院で11月28日、
14歳のエホバの証人信者の男の子Dennis Lindberg
白血病治療の輸血を拒否して亡くなっています。


診断されたのは11月初め。
その後化学療法を受けていましたが、
輸血は本人が拒否、
同じくエホバの証人の信者である法廷代理人の叔母は本人の意思を支持する一方、
アイダホ州に住む両親は反対するなど
輸血を巡って意見の対立があり、
病院は問題を州へ届け、
州が輸血の強制を求めて裁判所へ持ち込んだという経緯。

上級裁判所の裁判官は
「輸血拒否が死刑に匹敵することは理解できる年齢。
彼には自分でその決定を行う権利がある」
との裁定を下しますが、彼はその数時間後に亡くなったとのこと。

裁判では子ども病院の医師らは本人の決定を支持したそうですが、
この問題について例のDeikema医師が長々と語っています。

輸血の問題が起こるのは大体は外科の症例であり、
現在の子ども病院の方針としては、
輸血を避けるためにできる限りのことはするが、
子どもが血液不足で死にそうになった時に病院が死なせることはしない、
と両親に知らせておくというもの。

何年か前までは、裁判所が親の希望に逆らって子どもへの輸血を認めるのが通例だった。
大人には治療を拒否する権利があるが、それが彼らの子どもにまで及ぶわけではない、という判断。
つまり、大人が殉教者になるのは自分の勝手だが、子どもまで殉教者にすることはできない、と。

ただ、青年期は問題が複雑になる。
14歳で考えることは変わる。
大人になったら14歳の時とは全く違った信条を持っていることもある。

心配なのはそこ。

14歳には“大人のような”意思決定プロセスが認められる場合があるが、
輸血が一回限りの治療ではなく長期に渡る場合には、問題がさらに複雑になる。

その場合、問題になるのは「協力するつもりのない子どもに如何に効果的な治療を行うか」ということ。

Diekema医師の上司で同病院の倫理部門の責任者であるWilfond医師は、
相反するニーズに折り合いをつけるジレンマについて語っています。

青年期というのは自分の信念に反するものには激しく抵抗する時期でもあり、
本人の望みと、発達段階にある彼らのオートノミーを尊重しつつ、
その一方で彼らを守りたいとの思いの間でバランスを取る。
その両者をどんな状況下でも成し遂げるというのは難しい。

【追記】
日本では2008年2月28日に
15歳未満については本人や親が拒否しても輸血を行うとの指針が出されました。

           ―――――――

それにしても……シアトル子ども病院は、

判断の難しい症例は州に届け出るという方策があることを、
ちゃんと知っていたのですね。

そしてDeikema医師も、
判断が難しい症例では
過去の判例を振り返ってみるくらいのことは
ちゃんとする人なのですね。

その人が、
Ashleyのケースでは、

知的障害者や未成年の子宮摘出については裁判所の命令が必要だという
ワシントン州の法律を知らず、

州に相談するという方策も検討すらしなかった……というわけ。