医療における子どもの権利にガイドライン(英)

9月27日のBBCニュースDoctors told take young seriously によると、
英国医事委員会が医療における子どもの権利に関する指針を出し、
医師の責任と役割を明確にしたとのこと。

3ヶ月かけて350人の子どもと600人の医師、親、各種団体に調査を行ったところ、
子どもたちは医師がまともに相手にしてくれないという不満を抱いていると分かった。
そこで、子どもを「大人の小型」と捉えるのではなく、
固有のニーズと権利を持った患者と捉えるとの姿勢をはっきりと打ち出したもの。

18歳以下の子どもの治療で医師に保証する責任があるとされているのは、
子どもが自分の治療に関する話し合いに直接参加できること、
自分の状態や治療について適切な説明を受けること、
彼らの意見も真面目に考慮してもらえること、
敬意を持って遇されること、
最善の利益を検討するに当たっては文化的または宗教的な信条や価値観に配慮してもらうことなど。

また本人がそう望むならば、子どもは親のいないところで医療を受けることができるし、
そのことを、きちんと知らされていなければならない。

          ――――――――

こういうニュースを読むと、
Katieのケースのニュース・ブレイクからずっと抱えている疑問が、
改めて膨らんでくるのを感じるのですが、

Cafcassやthe Official Solicitorのような代理決定や権利擁護の制度が整備されており、
Mental Capacity Act 2005が成立したのは2年も前で、この10月に施行されたばかり。
そのガイダンスが医療の現場で出されたり、
上記のような医療における子どもの権利が初めて明確に打ち出されようとしていたり……と、

英国社会では子どもや自分で決定することのできない人の権利擁護について、
意識がかなり明確になりつつあるように思われます。

そういう社会のメディアが、なぜ
「Katie本人の固有な権利が然るべき手続きによって代理されるべきでは」
という発想をしなかったのか?

私の手元にあるファイルの記事を見る限りでは、
10月8日のGuardianで脳性まひ者のチャリティScopeが
Katie本人の権利を代理する法定代理人の必要を強く訴えていますが、
Timesがこのケースが裁判所に持ち込まれることを伝えた18日まで、
それ以外にScopeと同じ主張をしたメディアも、そういう主張を取り上げたメディアも
(見落としがあったとしても、ほとんど)ありませんでした。

これが裁判所の判断を仰ぐべき性格の問題であることについても、
Katie本人の固有の権利が正当に代理されるべきことについても、
メディアは口をつぐんでいたのです。

しかし、Times もGuardianも TelegraphもBBCもDaily Mailも、
1月にはAshleyのケースを報道していました。
シアトル子ども病院が子宮摘出の違法性を認めたことも知っているはずでしょう。
その違法性が、
知的障害のある人への不妊手術には法的手続きを必要とする州法に由来するものだったことも、
このケースを調査したWPASの報告書にAshleyの権利を代理する人が敵対的審理を尽くす必要があるとの判断が織り込まれたことも、
それらのメディアは知っていたはずです。

それなのに、その問題には一切触れられないまま、
メディアによってAlisonの言い分」対「障害者運動活動家の批判」という構図が作られていきました。

18日にこのケースが裁判に持ち込まれることになったことを報じるTimesの記事も、

Disability groups and academics have been united in urging caution the case in which Alison Thorpe wants doctors to ……

Alison Thorpeが……と望んでいるケースでは、障害者団体と学者らが手を結んで慎重な対応を呼びかけている。

と書き、あたかも一部の特殊な利害をもつ人々の偏った主張であるかのようです。

それとも英国のメディアは、
まさか、あのシアトル子ども病院生命倫理カンファレンスでのFostParisのように
「どうせ拘束力などないのだから医師は裁判所の言うことなど無視すればいい」とでも?

Ashleyのケースを報道していた時の姿勢に比べてみると、
Katieのケースを報道する際の英国のメディアには、
どこか奇妙な変節があるような、
とても不自然なものを感じるのは私だけでしょうか?

1月のAshleyのケースでは、
一部のメディアには操作されていた節があったことを、
改めて思います。