久々にKatieのケースについて

しばらく静かだった(私がヒットしていないだけかもしれませんが)Katie Thorpeの子宮摘出を巡る議論ですが、
10月30日付で脳性まひのDavid Reillyという人が書いたものがひっかかりました。

The Herald
Reillyが呈している疑問。

障害児・者のケアをAlisonや同じ意見の親がメディアやインターネット上でこと細かく描写してみせる言葉が、
「私には、このうえなく非人間的で蔑視に満ちた言葉遣いが混じっているように感じられる
(to my mind, some of the most inhumane and degrading language)」と。

この点については私も、
Alisonだけでなくイギリス・メディアの言葉の選択にも、
障害に対するネガティブな視線を感じます。

例えば、Alisonの言を受けて、
メディアはこぞって「Katieはdoubly incontinentだ」と書く。

これは公式には「大小便失禁」なのでしょうが、
重症児の母親の言葉として何度も私自身が耳にした日本語にすると
「オシッコもウンチも垂れ流し」。

さらに、あたかもオムツ使用が極めて異常なことのような書き方もする。
まだオムツが取れていない」と書いた新聞まで……。
まだ……って……

これは障害に関するメディアの勉強不足なのか、
Alisonに引きずられているのか、
それとも他に 何か意図でもあるのか……?



Reillyのもう1つの疑問。

英国は多様性を受け入れるinclusiveな社会であるはずなのに、
文化の多様性は受け入れても障害という多様性、障害者の権利だけが、なぜ受け入れられないのか、と。

彼は、重症障害新生児を巡る英国産婦人科学会などの動きを指摘したうえで、次のように書いています。

障害とは、新生児を死なせなければならないほどに
何としてでも避けなければならないほどのお荷物なのか……


障害のある当事者に、こんな言葉を書かせてはいけない。
そんな社会にしてはいけない、と思う。