カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生」


原著は The Singularity is Near: When Humans Transcend Biology  2005年9月
(タイトルを直訳すると「特異点は近いぞ:人間が生物学を超える時」)

カーツワイルはこの本の中で、21世紀後半には指数関数的な速度で発達する遺伝学、ナノテクノロジー、ロボット工学が特異点(singularity)に達し、爆発的なパラダイムシフトが起きて世の中と人間のあり方がこれまでとは全く変わったものとなる、超人類の世界、ポストヒューマンの時代がくると予言しています。

このように、各種新興テクノロジーの進歩がある段階に達すると、それらの総合的な影響力が一気に爆発的効果をもたらし、俄かに人間の能力を超人的な次元へと引き上げる……と信じる人のことを、(オメデタイヒトではなく)シンギュラリタリアンと呼ぶのだそうで。

カーツワイルのインタビュー(日本語)は、こちら。
http://japan.cnet.com/interview/story/0,2000055954,20088465,00.htm


ちなみにカーツワイルはトランスヒューマニズムへの貢献により、世界トランスヒューマニズム協会から2007年のH・G・Well賞を授与されています。だから、やっぱりシンギュラリタリアンというのは結局ポストヒューマニストであり、トランスヒューマニストなわけですが、みんな自分が独自にネーミングを考えて差別化したいのですね、きっと。(そういえば生命倫理に医療倫理に実践倫理に、はたまた脳神経倫理学に……というのも同じ構図……?)

この本、読んだのが猛暑のさなかだったことも手伝って、「指数関数的な速度で進んでいるのは地球の温暖化の方だろー。こんな夢を描く暇があったら、温暖化を止める現実的な手立てを考えたらどうよ……」と毒づきながら読んでいたのですが、「お?」と思ったのは、

この本の中に、あのHughesからの引用があるのです。

脱人間(ポスト・ヒューマン)になることを拒否し、従来型の人類の方がよいと考えるのは、鋤の弁護をするようなものである。鋤のような古い道具は、役に立たないと批判されても、なくなることはないものだ。

ジェームズ・ヒューズ
コネティカット州トリニティ・カレッジの社会学
トランス・ヒューマニスト協会事務局長
「人類は脱人間になることを歓迎すべきか拒否すべきか」の討議で    (P.534)

また、世界トランスヒューマニズム協会のトップであるNick Bostromも引用されています。

超知能に解決できない、あるいは解決の一助となれない問題などあるだろうか。疾病、貧困、環境破壊、ありとあらゆる不要の苦しみ──進化したナノテクノロジーを装備した超知能はそういった問題を解決するだろう。さらに超知能は、ナノ医療によって老化を止めたり若返らせたりするか、もしくは自分をアップロードしていくという可能性を提供することによって、人間に無限の生命を与えることができる。また、我々は超知能の助けによってみずからの知性と感情の可能性を大きく広げられるかもしれないし、とても魅力的な経験世界を創造できるかもしれない。その世界では、楽しい遊びをしたり、お互いに理解しあったり、経験を深めたり、個人的に成長したりして、理想的な人生に専念できるのだ。

ニック・ボストロム「高性能の人工知能に関する倫理的な問題」(2003年)P.329

超知能のおかげで良いことだらけ、みんなハッピーなバラ色の未来──。
こういう人たちの影が、“アシュリー療法”論争にはチラついているわけです。