兄弟間の臓器移植 Pentz講演

”アシュリー療法”論争には無関係な人なのですが、行きがかり上ちょっと興味があったので、ついでに生命倫理カンファレンス13日午後の分科会から、Rebecca D. Pentz のプレゼン「兄弟の健康への手段として子どもを利用すること」を。

PentzはEmory大学Winship Cancer Institute の研究倫理の教授。病気の兄弟のために子どもに臓器を提供させることを巡る議論です。腎臓移植など形のある(solid)臓器の提供も取り上げられますが、Pentz自身は癌を専門にしているので主に骨髄移植をイメージした話となります。

まずPentzは、小児科の移植医療においては兄弟間の臓器提供はすでに充分受け入れられていることを確認します。

次に、これまでのケースを概観し、兄弟からの臓器提供が法的に認められる根拠は「ドナーの利益」であったことを整理します。(この中には、当ブログでも触れたStrunk v. Strunk ならびにCurran v. Boszeで示された未成年の最善の利益の3条件も挙げられています。)

その上で、本当に兄弟への臓器提供はドナー自身に利益をもたらすことが実証されているだろうか、とPentzは問いかけました。大人の場合はドナーへの追跡調査など豊富な研究報告があり、おおむね自尊心が向上する、自己評価が上がるなどの利益が広く確認されている一方、子どもがドナーになった場合についての研究はほとんどなく、子どもの場合もドナー自身へのメリットがあるとするには、もっと研究データが必要だ、と。

ここでPentzは、ある母親へのインタビュー・ビデオを流します。(例によって正確にすべてが聞き取れているわけではないので、以下は大まかなニュアンスと考えてください。)

人々の関心はいつも病気のAndyにあったんです。誰かが訪ねてくると、聞くのは決まって「Andyはどう?」。周囲ではいつも「Andyがこれをしたいと言っている」、「今日はAndyは……」、「でもAndyが……」。Jeffはいつも自分が無視されていると感じていたんです。

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Andyは4歳で癌になり、双子の兄弟のJeffから骨髄の提供を受けた。現在は完治し、家を出て大学生活を送っている。Jeffの方は大学にも行かず、今も親と暮らしている。Jeffは移植の後ずっと、まとまったことができないまま。母親は彼の本当の問題は「無視された子ども」だったことにあると分かっているが、どうすることもできない。Andyの移植のこうした側面に対して、医療者も対応してこなかった。

次にPentzが考察するのは、兄弟間の移植を正当化してきた理屈。

家族の1人の利益と他の1人の利益とを差し引きすることにより、家族全体のニーズを考えるべき。(Nathan v. Farinelli, 1974)

血縁関係の有無に関わらず、親密なつながりのある人物を失うことは人生への打撃なので、家族のみならず友人への提供も認められるべき。(Jansen, Cambridge Quarterly 2004;13:133-142)

このプレゼンと並行して、別の分科会で講演しているLainie Rossは、上記2つをミックスする形で、独自のIntimate Attachment Principle(親密なつながり?原則)を提示しています。

Rossの親密な繋がり原則

・子どもの基本的なニーズを犠牲にすることは不可。しかし家族全体の幸せが子どもの幸せなので、家族のために子どもの健康に最小限の制約を及ぼす(minimally compromise)ことは可。
・家族以外の親密な人物への提供については、外部の審査が必要。

(こういう場合にcompromiseという言葉を使うのかぁ……と。compromiseはとりあえず苦し紛れに「制約を及ぼす」と訳してみましたが、「望ましくないものとやむを得ず折り合いをつける」といったニュアンスではないかと思います。でも、ここで意味しているのは現実には「質を落とす」ということですよね。)

ただし、ここでは骨髄移植の話であり、18歳以下の子どもは形のある(solid)な臓器のドナーにはなれないとのこと。会場からも何度か指摘があったのですが、提供してもまた再生される骨髄の提供と、提供によって半分失うことになる機能は取り戻しようがない腎臓の移植とでは、問題の性格が異なってくるという面はあるようです。

1995年にはHastings Centerのレポートで以下のような見解が示されています。Pentzは今のところ、総合的にみてこれが一番妥当なところと考えているようでした。

Sibling donation justified if there is “a moral match between the relationship and the risks to the donor relative to the benefit to the recipient”

兄弟の臓器提供が正当化されるのは、両者の関係と、レシピアントの利益と比較した際のドナーへのリスクとの間に道徳上の釣り合いが取れている場合。

Dwyer, Vig. Hasings Center Rep. 1995;25:7-12

その後、Pentzが提示した2つの症例を巡って会場と様々な議論がありましたが、ここでは省略します。

全体に、実際の現場では移植重視のあまりドナーになる子どもに対して相当に無神経な対応が行われているような印象を受けました。Pentzの主張もその辺りにあるようで、子どもは大人ほど拒否する権利を事実上認められていないのではないか、子どもの提供の決断は実際には周囲の大人の決断なのではないか、と問題提起していました。

また、姉のために次々に組織・臓器を提供させられる妹をテーマに、家族それぞれの視点から、以下の小説が書かれており、Pentzが議論のケースとして取り上げました。(面白そうなので、いずれ読んでみようと思いますが、いつになるか?)


「わたしのなかのあなた」と題して、早川から翻訳も出ています。