生命倫理カンファレンス(Fost 講演 1)

7月13,14日の2日間にわたって行われた
シアトル子ども病院トルーマン・カッツ小児生命倫理センターでの生命倫理カンファレンス。
第1日目の最初の講演者は、このブログでも何度かに分けて取り上げてきたNorman Fost医師。
(詳しくは「擁護に登場した奇怪な人々」の書庫を。)

Webcastで聴いたものなので、細部については聞き漏らしや聞き間違いもあるかとは思いますが、
Fost医師のプレゼンテーションについて分かる範囲で。

まず、カンファレンスで司会を務めたDiekemaがFost を紹介する場面で、
思いがけず、このブログで以前から指摘してきた可能性が裏付けられました。

Diekemaが mentor of mine だとFostを紹介したのです。

Fostも講演の冒頭、
DiekemaとWilfondが2人ともウィスコンシン大学でレジデント研修を行ったことに触れました。
なるほどWilfondは現在も同大の教授も兼務しています。
FostはDiekemaにとって恩師であっただけでなく、Wilfondにとっても恩師。
やはり思ったとおり、3人には“ウィスコンシン大繋がり”があったのです。

Fostは講演冒頭で“アシュリー療法”論争にも触れました。
カンファレンスの主催者でもあり、
教え子2人の所属しているトルーマン・カッツ・センターを持ち上げてみせた際です。
アシュリーのケースで同センターが果たした役割について、
「あんな論争を自ら求めるなどということは病院のCEOにとって大変な勇気を要することであり、
普通の病院ならあんな面倒(plague)は避けたかったはず。
それにもかかわらず、“アシュリー療法”を世に問い論争を行ったのは、
オープンな議論でよりよい解決を模索しようとの
センター創設者トルーマン・カッツの理想通りのユニークですばらしい姿勢」と。

このブログでの検証によると、
あの論争を世に問うたのはアシュリーの両親であって、
医師らは親のブログが世に出るまでは、
まず2年以上も事実を隠蔽し、
次に論文では嘘や隠蔽やマヤカシを行い、
親のブログがすべてを公開して以後は親の言うことをそのままオウム返しにしながら、
肝心の倫理委での議論については未だに口をぬぐって誤魔化しているのではないでしょうか。

しかし、触れなくてもいい話題なのに、わざわざ冒頭で持ち出すあたり、

うがった見方をすれば
アシュリー療法論争がFost医師の意識に引っかかりを残している証拠かも知れません。

講演タイトルは、Parental Request for “Futile” Treatment
現在の医療の現場でfutilityという概念の意味するところと、その周辺事情を解説し、
医師としてどのように対処するべきかをアドバイスするというものでした。
その詳細は次回に。