社説で擁護した新聞 2

シアトル・タイムズ紙は、シアトル子ども病院が子宮摘出についての違法性を認めた直後の5月10日にも、社説で擁護を繰り返しました。今度のタイトルはThe right decision for a “Pillow Angel”(「枕の天使ちゃん」のための正しい決断)。

冒頭の1文で「障害のある患者の特定の治療には裁判所の命令を求めるとの、子ども病院の方針転換は正しい」と書いてあるので、タイトルの言う「正しい決断」とはこの「方針転換」のことなのかと、つい考えてしまいます。しかし本文を読むと、この社説全体の趣旨はむしろ逆に、アシュリーにこのような医療処置を行うとした当初の決断そのものが正しいとの主張のようです。後半から終わりにかけての論旨は、ざっと以下のようなもの。

アシュリーへの明らかに急進的な治療の選択は軽率に決められたものではない。医師らは40人から成る倫理委員会の承認を得ている。無分別に決められたものではなく、慎重に検討されたうえでの決断なのだ。

医学的なメリットとしては……

……行われる対象としてはほとんどの人で正しくないかもしれないが、しかしこの療法はオプションとして残されるべきである。

……裁判所の役割とは、障害のある患者の医療決定が適切な人によって正しい理由で行われることを保障することであろう ――アシュリーのケースは、まさしくそういうものだったのだ。

この社説は「親が望んだ理由は正当なものであり、親が意思決定者となったことも正しいし、その検討過程も正しい」と言っているのであり、タイトルの「正しい決断」とは実は病院の方針転換のことではなく、アシュリーに行われた医療処置についての親と医師らの決断が正しかったと、改めて擁護しているのです。シアトル・タイムズ紙は全面的に親と医師らと同じスタンスに立っていることを、またも社説で表明しているわけです。

これに対して、同紙のウェブ・サイトの読者の声の欄で、Mark Merkensという人が「5月10日の社説は知らず知らずのうちに傲慢な行いを擁護している」と書いています。別記事で担当医が「いちいちこんなことを言われたら、病院でやっていることの半数で裁判所の命令が必要になってしまう」と発言していることに対して、裁判所の命令を要する医療処置は非常に少ないし、何よりアシュリーのケースでは意見が割れているではないか、と指摘する内容です。

鋭い指摘なのですが、しかし私がこの人の投稿の中で目を引かれた部分はunknowinglyという単語です。シアトル・タイムズはこの人が書いているように、本当に知らず知らずのうちに擁護してしまったのでしょうか? この捉え方はこの人の「新聞の社説だから中立の立場で書かれているはず」という予見、思い込みに過ぎないのではないでしょうか。