バイバイ

週末の帰省を終えてミュウを療育園に送っていくと、
詰め所であれこれの報告をした後でデイルームに行き、
座位保持装置に座らせ、「おかあさんといっしょ」のCDをかけてやり、
次は何回寝たら迎えに来るからね、と指を折ってカウントしてから
おでこにキスして別れる……というのが、
長い年月の間に自然にできた段取りになっている。

その長い年月のスタートのところでは
親も子もいろんな愁嘆場を何年も繰り返したけれど
いつからかミュウは別れ際に大きく腕を振り上げて
自分からバイバイしてみせるようになった。

といっても、それは見るからに“ヤケクソ”であって、

いっそ自分からバイバイして自分の気持ちをぶった切ってしまおうとでもするかのように、
顔をひきつらせて、なんだか暴力的な力任せの腕の振り方をする。

そして時には、ぶった切り損ねた気持ちの破片に逆襲されたみたいに
腕を振り上げたまま、顔が崩れるや、わっと泣き出してしまうこともある。

短くて5日、長くてもせいぜい2週間程度の別れとはいえ、
なお子にとっても親にとっても切ない思いを強いられる場面ではある。

ところが、昨日ミュウを療育園に送っていった夫が
いつもの段取りを経て帰ろうとすると、

ミュウは、いつもよりもちょっと余裕で腕をあげたのだという。
バイバイする時には小さく笑顔まで見せたらしい。

すかさずデイルームにいた若手のスタッフが気付き、
「あーっ。ミュウさんが笑いながらバイバイしてる~」と声を上げた。

「え? あ、ほんとだ。すご~い」
「わぁ、ミュウさんが、お父さんに笑顔で手を振ってる!」と
他のスタッフもデイルームのあちこちから驚き、大いにウケてくれた。

ミュウは腕を振り上げたままギャラリーをぐるりと見渡すと、
いっそうノリノリで大きな笑顔になった。

そして得意満面の笑顔のまま
父親に向かって高々と腕を振り、余裕のバイバイをしたそうである。


帰宅した父親からその話を聞いた母親は、そういえば、と思いだした。

そういえば先週、「エロかっこいい」みたいにあなたを表現すると……という
診断マーカーにミュウの名前を入力してみたらばさ、出てきた答えは、
なんと、おとーさん、「エロおめでたい」だったんだよ。ぶはははっ。

昔からコイツは、ギャラリーが多いと張り切るヤツだったもんねー。

両手にスプーンと皿を持ち自分で食べる練習に熱中していた幼児期には
客が来てその前で食べてみせる場面があると俄然張り切ったものだった。

一口食べるたびに「どーお、今の?」とばかりに目をきらめかせ、
テーブルの客人を一人一人順番に眺めては目で称賛を強要する。

得意そうな顔でみんなから「わぁ、すごい」「えらいねー」と一通り賛辞をせしめ終えると、
おもむろにスプーンを握り直して次の一口に取り掛かる。
そして、また「どーだぁ?」と見栄を切る。

付き合わされる方は邪魔くさいことこの上ないが
ミュウが自分でご飯を食べられるようになったのは
イチイチ手を叩き賛辞を惜しまなかったギャラリーたちの
辛抱と努力のたまものだったと言っても過言ではない。

ギャラリーがいると、
そしてその人数が多ければ多いほど、
張り切るヤツだったよね、こいつは、昔から。

そうそう、そこんところ、ちっとも変わってない。
やっぱり「エロおめでたい」は言えてるねー。

夫婦で大笑いしながら、
初めてにこやかに親に手を振ってみせたというミュウに、
やっぱりコイツもまた一つ大人になったんだなぁ……と、しみじみ思う。

「自分で食べる技」の最初のギャラリーは2人の親だった。
その次のギャラリーは祖父母や親戚ご一同様だった。

そして、いつのまにか、
ミュウが認められたい人、ほめてもらって嬉しい人、
褒めてもらったから張り切っちゃおう! と思わせてくれる人が
ミュウの周りにはこんなにも沢山いてくれる――。

「エロおめでたい」はハッピーでないとやってられないしね。

あんた、また一つ大人になったね、ミュウ。