子と親と医師との「協力」で起こすことのできる“奇跡”:ボイタ法の想い出

「NPO法人きらら」機関誌「ワークパートナーきらら」に掲載された
きらら理事長、高谷清氏の連載「言葉に見る人間の心 ⑥」を読ませてもらう機会があり、
ああ、こういう深い眼差しを親子に向けることのできる医師もおられるのだ、と、
またそれが重心医療の医師であるということが、さらに嬉しかった。

協力
医療をおこなうには、いろいろの手技が必要となる。注射や導尿などの手技がある。心身の重い障害のある人は自分で食事を摂れないのはもちろん、食事介助しても流動食や水分もなかなか呑みこんでくれないし、無理をすると気管に入り肺炎をおこすことになる。
 そこでやむをえず、チューブ栄養(経管栄養)になる。鼻から細いチューブを胃まで通す。一日に何回も栄養を入れるので、抜かずにばんそこうで留めておく。このチューブがなにかの拍子で抜ける。かんたんに挿入できる子もいるが、変形や筋緊張があってうまく入らず、このときお母さんにやってもらうと、かんたんに入ることがある。
 医療者はいろんな人に、その行為をしなければならないが、お母さんは自分の子だけだから慣れているのだ、と思っていた。しかしお母さんが入れる様子をみているとどうも違うのである。チューブ栄養が必要なのは障害が重い子が多く、周囲のことは何もわかっていないと思われている。呼びかけても反応がないし、身体にふれるとその接触に対して反応しているだけのようにみえる。しかしお母さんが挿入しているときには、身体がそれほど緊張しないし、気持ちが安心しているように見える。チューブの挿入を受け入れているのである。医療者が一方的に挿入しているのとは異なり、母と子が協力しあって挿入が可能となっている、と感じた。
 こうした手技やさまざまな医療処置は、「おこなう人」と「おこなわれている人」という関係のようにみえるが、実は双方が協力しあって、その目的が実現しているのであると実感した。
 医療、教育、育児、福祉などは、医療者、教師、親、介助者が一方的に「する」行為ではなく、「されている」とみえる当事者との、「協力」で成り立っている。
 「協」という字は、「力」が三つから成り立っているが、「力」は農具の「すき」からきており、「農耕に協力する」意味であり、また「劦」と「十」で「会意」とするようである。医療、教育、育児、福祉はする人の一方的な行為でなく、一見「される」とされている人との双方の協力の行為であることを肝に銘ずる必要があると感じた。
参考 白川静「字統」「字訓」平凡社


これと同じことを、私は母子入園で初めてボイタ法を習った時に娘に感じたことがある。

入園中、赤ん坊の頭を苦しい位置に押さえつけて本能的に暴れさせ、その試行錯誤のあがきの中から正しい寝返り動作を身に付けさせるというボイタ法の訓練には、私は精神的な影響の方が気になって、正直なところ、あまり信頼を持てなかった。母親との信頼関係を形作るうえで一番大切な時期にこんな訓練をさせて、取り返しのつかない傷を心に負わせてしまったら、いったい誰が責任をとってくれるんだ……?
けれど、母親のそんな懸念をよそに、むしろ、ふんが、ふんが、と鼻を膨らませてがんばってみせたのは、当の本人だった。これには内心、度肝を抜かれた。最初の数回こそパニックしたものの、すぐに泣かなくなった海は、一歳足らずの分際で、ちゃんと意欲的にリハビリに取り組もうとしていたのである。人間が何かを本能的に察知するということはきっと、頭で納得する以上にすごいことなのだ。
「海のいる風景」P.75-76


実はこのエピソードの最初の段落と次の段落の間には、とっておきの裏話がある。

最初、私のボイタ法に対する不信はとても強くて、
途中で母子入園をやめて帰ろうかと本気で悩んだほどだった。

毎日、決まった時間にみんなと一緒に訓練室に行きはするものの、
生まれて以来ずっと病院暮らしみたいだった1歳にも満たないミュウは
初めて体験する多くの人間の気配という、外界からの強すぎる刺激を
シャットアウトして自分の中に閉じこもり身を守ろうとするかのように
訓練室に入るや、すとんと眠り込んでしまう。

まずは雰囲気に慣れるまで、ゆっくり様子を見ようと
私は訓練開始を急ごうとは思わなかった。

一方、当時のボイタ法というのは
「早期発見・早期療育」の掛け声のもと「奇跡の療法」だと信じられていて、
訓練室は「私が歩かせてみせる!」という母親たちの気迫で張り詰めている。

のんびりと隣の休憩室で子どもを寝かせている私には
「いったい何しに来た?」「訓練室の雰囲気がダレる」などの非難が飛び始める。

自分が我が子のリハビリに命をかけるのは勝手だけど、
他人が子どものペースを尊重する方針にまで口を出される筋合いはない。
そういう人には、ちょいと水を差してあげた。

「あのね、調べてみたら、リハビリテーションという学問そのものが、
日本に入ってきて、まだせいぜい20年とか30年とか、そういう話なんだよ。
いま私たちがやれと言われて素直にやっている、こういうのが
今から10年も経ってみたら実は間違いだった……なんてことだって
あり得ないわけじゃないと思うよ。そう簡単に奇跡なんか起きないよ」

(ボイタ法については実際、私の予言通りになった。
この辺りのことについては「現代思想」2010年3月号で
杉本健郎、立岩真也両氏の対談が取り上げている)

そんな鬱屈を抱えていた頃、
ミュウのバギーを押しての夕食後の散歩で
がらんとした外来のあたりをウロついていたら、
向こうから小児科医の一人がこっちに向かって歩いてきた。

まだ一度受診しただけで、ちゃんとお話ししたこともない。
いかにもセカセカと忙しそうでもある。でも、その時の私はたぶん
もう誰かに話さないではいられないだけ満杯になっていたのだと思う。

「先生、ちょっとご相談したいことがあるんですけど」
自分でもびっくりするくらい真っすぐに声をかけてしまった。

忙しそうに見えたS先生は「じゃぁ」と
そのまま小児科外来に招き入れてくれた。

さし向いに座るや、私はしばし、
母子関係を作るべき大切な時期に母への信頼が揺らがないかとか、
心はどうなる、本当にそれだけのリスクを侵すだけの効果があるのか、など
ボイタ法に迷い揺らぐ気持ちを堰が切れたようにぶちまけた。

先生は途中で遮ることなく(ぶちまける迫力に口を挟めなかったのかもしれないけど)
最後まで聞いてくれてから、思いがけないことを言った。

「この訓練をやって、本当に効果があるかどうか、
お母さん、正直なところ僕にも分からない」

は?

「たぶん本当のところ、誰にも分からないと思う。
今はこれしか他にやってあげられることがないから、とりあえず、
これをやってみようというのが実際のところかもしれない」

はぁ、やっぱり、そういう話で……。

「でもね、お母さん、僕は思うんだけどね、
お母さんが自分の辛い気持ちを抱えながら、
ミュウちゃんのために、と思って押さえつけて訓練をやる、
その思いはミュウちゃんにはきっと伝わるはずだって、
僕はそう信じたいと思うんだよ」

その後、私はS先生との間に、なかなか味のある信頼関係を築かせてもらうのだけれど、
本当の意味で私にとって先生との「出会い」となったこの時に、

先生がすぐに時間をとってくれたこと。
私の思いを正面から受け止めて聞いてくれたこと。
「正直わからない」と率直に本当のことを話してくれたこと。

この3つは私たち親子の運命を変えてくれたと、今でも私は思っている。

この3つがあったことの先に出てきた
「ミュウちゃんには伝わるはずだと信じたい」という先生の言葉は
私の迷いをすぱんと断ち切ってくれた。

先生が「伝わるはずだ」と思うなら
母親である私は「伝えてみようじゃないか」と――。

ちょうどその頃、OTさんからも個別に
ボイタ法が如何にして寝がえり動作を促すかというカラクリについても
丁寧に説明してもらう機会があった。

ちゃんと聞かせてもらえれば、
一応は頭で納得できない話でもなかった。

そろそろ娘も雰囲気に慣れてきていた。

「奇跡を起こしてみせる」オーラが張りつめ、誰も余計なことは一切しゃべらない訓練室で
私はいつも通りにミュウに話しかけ(これは常時2人分の会話を一人でしゃべっていることを意味する)、
訓練の間はミュウへのエールとして必ず「おかあさんといっしょ」の歌を歌った。

するとウチの隣の訓練台の人も息子のために家からカセットデッキを持ってきた。
そのうち少しずつ訓練の時間帯にも親同士が普通に会話を交わすようになり、
やがて和気あいあいと母親同士がジョークを飛ばしながら
それぞれの子の訓練に励む訓練室になった。

そんな中でミュウは
頭を苦しい位置に押さえつけられても泣かなくなり、
何を求められているのかを一歳児なりに探り始めていた。

それは押さえつけている手からも、娘のクソ真面目な顔つきや目つき、鼻息からも
私にはしっかりと伝わってくる手応えだった。

ミュウがそうしてヤル気になるんだったら、
頭でカラクリはきちんと理解できてる以上は、母親だって、娘の頭を押さえつける手に、
「ほら、こうしてごらん」というメッセージを的確に込めることができる、というものだ。

まさに高谷氏が書いている「協力」――。

私の思いはS先生が言った通りミュウに伝わり、
ミュウは見事にそれに応えようとした。

そして、

海が自力でひょっこりと初めての寝返りを打って見せたのは、母子入園を終えて家に帰った日の夕方のことだった。
それまでは、いいところまではいくものの、最後の一山を越えられずに元に戻っていたのが、何のはずみか、その時はひょいっと簡単にでんぐり返ってしまったのだ。突然、目の前の景色までくるりと向きを変えたのに自分で仰天して、「な、な、なぁ~にが、起こったんだぁ……?」と、海は頓狂な顔で辺りを見回していた。
「海のいる風景」P.75

その日、達成感の旨みというやつを生まれて初めて知ったミュウはしっかりと味をしめ、
その後は放っておいても一人でせっせと寝がえりにチャレンジしては"一人リハ"を繰り返していた。
当然ながら、寝返りはどんどん上手になり、やがては肘這いで隣の部屋まで遠征できるまでになった。

あの日もしもS先生が
高いところから母親を「指導」しにかかってくるような医師だったら、
私は不信感をふっきることができず、

ミュウにも
あの日のとてもスペシャルな寝返りは訪れなかったのではないか、という気がする。